北朝鮮帰還事業60年、共産主義幻想を引きずり反省のない朝日

◆「地上の楽園」と宣伝

 「税金のない国、乞食のいない国」。1980年代に朝鮮半島の38度線(軍事境界線)を訪れた時、北朝鮮の特大の宣伝看板が目に留まった。それを見て韓国の軍人が笑って、こう解説してくれた。

 「税金はお金を得た人が収めます。最初から搾取されている人民にそんなお金はありません。乞食(こじき)は徘徊(はいかい)の自由と恵む人がいないとできません。北には自由もなく恵む人もいないので税金も乞食もない。でも日本には『地上の楽園』と信じる人がいるのですね」

 90年代に北朝鮮側から軍事境界線の「板門店」を訪れたことがあるが、特大の宣伝看板はなかった。むろん南への宣伝だから北から見えない。仮に見えてもありがたがる人民は一人もいまい。「楽園」は当地でもとっくに死語だった。

 ところが60年前、在日朝鮮総連やマスコミは北朝鮮を「地上の楽園」と盛んに宣伝した。それに騙(だま)されて59年12月14日、9万3000人以上の在日朝鮮人や日本人妻を含む家族らが北朝鮮に渡った、「帰還事業」の第1便の船が新潟港から出港した。

 この帰還事業について産経は今月13日付に「北帰還『夢も青春も奪われ』」と脱北者の証言を詳報し、朝日は14日付に「『楽園』は『地獄の生活だった』」と帰還者の話を載せている。右の産経と左の朝日がそろって「地獄」と報じるのだから、紛れもない「地獄」だったのである。

◆「宣伝」を担った新聞

 だが、朝日には不可解な記述がある。「北朝鮮帰還事業」と題するキーワードで、こんなことを言う。

 「北朝鮮には、李承晩大統領の独裁政権下で日本との国交交渉を進める韓国に対抗し、社会主義体制の優位を宣伝したい意図があった。一方、日本側には人道面での共感に加え、治安や財政上の負担軽減のため『希望者は帰還させたい』との考えもあったことがその後の研究で明らかになっている」

 まるで日本側が「地獄」に追い出したかのような書きようである。事実はそうではない。朝日自身が記事に「『地上の楽園』という渡航前の宣伝とはかけ離れた生活環境や待遇に、多くの人が苦しんだ」と書くように「宣伝」が元凶で、それを担ったのは新聞だった。

 10年前つまり帰還事業50年の2009年12月、産経の黒田勝弘氏(ソウル駐在特別記者)は「『人道航路』の痛恨」を述懐している(同19日付)。帰還事業は途中で中断したものの1971年に再開され、黒田氏はその再開第1船を新潟港で見送ったという。

 「ぼくも他のメディアと同じく『人道の船』とか『人道航路』とたたえて送り出した。今、考えると痛恨きわまりない。非人道を人道と伝えた、北朝鮮に対するこの錯誤、錯覚はどこからきたのだろうか」と自問し、こう語る。

 「最大の原因は戦後日本社会に根強かった社会主義幻想と、反日・贖罪史観ではなかったか。…同じ朝鮮半島でも南の韓国は“反共独裁国家”として顧みられず、否定的イメージばかりが流布された。北朝鮮=朝鮮総連のマスコミ情報工作も強力だった。当時の日本社会の朝鮮半島情勢は、朝鮮総連経由で流される親北・反韓的なものがほとんどだった」

◆開き直る元朝日記者

 そのお先棒を担いだのが他ならぬ朝日である。訪朝歴5回の岩垂弘記者(95年、退社)が「地上の楽園」と書きまくった。先週の本欄で紹介した名うての左翼記者だ。黒田氏は痛恨とするが、岩垂氏に反省の弁はなく、「報道鎖国に入るのが記者の役割…北朝鮮をどう考えるかは読者それぞれだ。厳しい南北対立や米朝関係、中国とソ連の対立など孤立無援の当時の背景を見ずに批判するのはフェアではない」(朝日2010年1月5日付)と開き直っている。

 報道鎖国に入ったなら、なおさら真実を伝えるべきではないか。孤立無援だから助けたかった? それこそ共産主義幻想に浸っている。朝日に反省がないのはその幻想を引きずっているからだろう。

(増 記代司)