評論家の江藤淳氏が亡くなって16年。最近では…
評論家の江藤淳氏が亡くなって16年。最近では言及されることは少ない。生前の活躍が目覚ましかったことを考えると、落差の大きさに驚く。単に顧みられないのではなく、むしろ積極的に排除されている印象がある。死んでなお、村八分にあっているようなものだ。
そうした風潮に対して、強い疑問を提起した著作が現れた。長らく江藤氏の担当編集者を務めた斎藤禎(ただし)氏の『江藤淳の言い分』(書籍工房早山・5月刊)がそれだ。
「……の言い分」という表現には、弱い立場に置かれた者が「自分にも最小限の言い分はありますよ」と訴えているような趣がある。が、そうだとしても「江藤排除」への一定の批判効果はある。
排除の根底にあるのは、晩年の江藤氏が「占領研究」に精力を傾けた一件だ。現憲法の成立過程に潜む疑惑がその中心にある。江藤氏の指摘するいわゆる「憲法押しつけ論」が、マスメディアや文壇の意向と正面から衝突した。それが排除のそもそもの理由だった。
江藤氏の側にも問題はあった。福田恆存氏をはじめとする保守知識人グループまでも敵に回してしまった、という戦術上のミスは惜しまれる。
それにしても、40年前の左翼知識人の江藤氏への反発は相当のものだった。彼らは強がりを言いながらも、心底江藤氏を恐れていた。そうした恐怖感が21世紀の今もまだ残っていて、それが「江藤排除」の流れにつながっているように思えるのだ。