100歳画家の憂い
地球だより
先日、こちらの新聞をめくっていたら御年102歳になる韓国人画家、金秉騏氏に関する記事が目に留まった。日本統治下、現在の北朝鮮・平壌で生まれ、画家だった父親の影響を受けて東京の学校で絵の勉強をし、解放後は長く抽象画で韓国美術界をリードしてきた。前半生を朝鮮半島で、後半生を米国で暮らし、今春には鎌倉にある神奈川県立近代美術館の展示会に出展し、特別講演までするなど今なお現役だ。
そんな金氏には反北体制主義の横顔があった。解放直後、平壌芸術文化協会で働いていた時、同僚たちと一緒に後の主席となる金日成将軍に呼ばれた。「芸術家の皆さんには私を宣伝していただきたい」と言われたことなどに反発して韓国側へ。朝鮮戦争(1950-53年)の従軍画家だった頃には、北朝鮮地域で起きた虐殺事件を「米国の仕業」とウソの宣伝をした北朝鮮の主張を鵜呑(うの)みにしたピカソが、それをモチーフに「朝鮮の虐殺」という絵を描いたことに憤慨したこともあったという。
よく知られたことだが北朝鮮では「芸術=政治宣伝の道具」。プロパガンダのみを目的にした絵画や音楽、映画ばかりが大量生産され、本物の芸術は生まれにくい。平昌冬季五輪に大挙して訪韓し世間を賑(にぎ)わせた北芸術団も融和ムードを広げる“宣伝部隊”だった。何十年も変わらない北の没芸術を金氏もさぞかし案じていることだろう。
(U)