フランシスコ法王「神は泣いている」


 訪米最後の日(27日)の午前、フィラデルフィアでローマ法王フランシスコは聖職者らに性的虐待を受けた5人の犠牲者と会った。3人は女性で2人は男性だ。彼らは成人だが、性的虐待を受けた時はいずれも未成年者だった。法王と犠牲者との会合は1時間に及んだという。同会合には、フィラデルフィア大司教区の5人の聖職者のほか、バチカンの「聖職者性犯罪調査委員会」議長のショーン・パトリック・オマリー枢機卿も同席した。

 バチカン法王庁のロンバルディ報道官によると、フランシスコ法王は犠牲者の話を聞きながら、「聖職者が未成年者にこのような罪を犯すとは恥ずかしい。教会やその関連施設内でそのような犯罪を犯した者は許されないし、教会側もその事実を隠蔽してはならない」と述べ、「神は泣いている」と語ったという。

 前法王べネディクト16世も2008年4月、訪米時にニューヨークのセント・パトリック大聖堂で米教会聖職者の性犯罪に対し、「恥ずかしい」と述べている。

 ちなみに、べネディクト16世は2010年4月、マルタを訪問し、同国の聖職者から性的虐待を受けた8人の犠牲者と非公開の場で会見したが、その時、「べネディクト16世は犠牲者の話を聞きながら、その目は涙で溢れていた」という話が伝わっている(「ローマ法王の涙」2010年4月20日参考)。

 後任のフランシスコ法王は就任直後、聖職者の性犯罪を調査する委員会を設置し、不祥事の徹底的な調査を指令している。最近では、法王は未成年者への性的虐待を理由にドイツのヴルツブルク教区に従事していた神父の全ての権利を剥奪している。
 しかし、ローマ・カトリック教会では聖職者の性犯罪は絶えない。今年に入り、スペイン南部グラナダのローマ・カトリック教会の10人の神父と2人の信者が未成年者への性的虐待とその事実隠蔽の容疑で起訴されている。加害者は神父たちだけではない。司教から枢機卿まで含まれる。バチカン前教理省長官のレヴァダ枢機卿が大司教時代、未成年者へ性的虐待した聖職者の性犯罪を熟知しながら隠蔽していた疑いがもたれてきた、といった具合だ。

 「なぜ、イエスの十字架信仰で救われたと主張する教会の聖職者たちが性犯罪に走るのか」。これはいい質問だ。教会の制度にも問題があるが、カトリック教会の救済信仰の限界を示しているのではないか。後者が事実とすれば、カトリック教会は深刻な問題に対峙していることになる。フランシスコ法王が進めるバチカン機構改革では解決できない問題だからだ。

 聖職を担う者が性犯罪を犯す姿をみて「神は泣いている」という。とすれば、神はこれまで泣き続けていることになる。性犯罪だけではない。戦争、紛争、いがみ合いは絶えたことがなかった。新約聖書「マルタによる福音者」には、イエス・キリストが十字架で処刑される直前、「昼の12時になると、全地は暗くなって、3時に及んだ」と書かれている。神はその時、きっと泣いていたのだろう。

 神を全知全能であり、スーパーマンのように考えている人にとって、「涙する神」は想像できないかもしれない。だが、人が涙を流すとき、その傍で神も涙していたはずだ。

(ウィーン在住)