自殺大国・韓国が提示した課題


 自殺者を出した家族を知っているが、残された家族も悩み続けるものだ。「もし、あの時、こうだったら……」といった思考から抜け出すことができず、その後の人生で同じ呟きを繰り返す。

 予想されたことだが、経済協力開発機構(OECD)のデーターによると、韓国は加盟国の中で自殺率が最も高った。韓国聯合ニュースによると、「2013年を基準としたOECD加盟国(34カ国)の自殺による死亡率は人口10万人当たり12・0人だった。韓国(2012年基準)は平均を大きく上回る29・1人で、OECD加盟国のうち、最も高かった。2番目はハンガリー(19・4人)で、3番目が日本(18・7人)だった。1985年からの自殺率推移をみると、OECD加盟国のほとんどは減少しているが、韓国は2000年から増えている。日本も自殺率が高いが、2010年以降は減少傾向にある」という。

 当方が冷戦時代、旧ソ連・東欧諸国を担当していた時、ハンガリーは世界一自殺率が高かった。同じアジア系民族(マジャール人)ということもあって、当方はハンガリー国民の悩みを考えざるを得なかった。社会学者や宗教家などに取材して、「なぜ、ハンガリー国民は自殺するか」を問い続けていったことを覚えている。

 民族性、政情、経済、教育水準など様々な要因が絡んでくるので、民族、国家の自殺率を考える場合、慎重でなければならない。はっきりしている点は、自殺率の高い国はやはり不幸だということだ。

 人は誰でも不幸を退け、幸福を追い求めている。幸福の道を見出せず、あるいは自らの命を絶つことでしか道を見出せない人々の姿は哀しい。

 韓国はここ数年、世界的に自殺大国だ。幼少時代から、学生時代、そして就職まで激しい競争の洗礼を受ける。日本でもそうだが、韓国のそれは異常だと聞く。誰もがトップを目指して激しい競争世界で生きている。

 もちろん、韓国社会だけではない。米国でも競争は激しい。夢をかなえてくれる道が開かれているだけに、人々は懸命にその夢を実現するために戦う。米国の資本主義を“ワイルド・キャピタリズム”と呼ぶ経済学者がいた。一握りの勝利者だけが栄光を得、大多数の人は取り残される。まさに弱肉強食の野生社会というのだ。

 終戦70年が過ぎた。戦争の災禍から立ち直るために日本、韓国の国民は必死に働いてきた。そして今日、両国ともアジアの主要国家としての地位を確立し、国際社会に影響を与えるほどになった。先輩たちの苦労に感謝しなければならない。
 いま新たな70年が始まろうとしている。私たちは「幸せな社会」の建設を経済的観点だけではなく、哲学的、宗教的観点からも考え直してもいい時を迎えている。

 戦後の教育では宗教教育が等閑にされてきた。若い世代は宗教の世界に疎くなってきた。しかし、どんなに経済的に豊かになったとしても、やはり私たちは心の満足をも求めているものだ。

 当方は学生時代、哲学者たちが書いた「幸福論」を貪るように読んだことがある。アランの「幸福論」からヒルティの「幸福論」、ラッセルの「幸福論」からショーペンハウアーの「幸福について」などを読んだ。当方の姿を見た姉が、「幸福論を読み耽っているあなたは最も不幸な人間よ」と茶化したことを思い出す。当方は人はどうしたら幸福になれるかを知りたかったのだ。

 21世紀は「宗教の世紀」と主張する学者もいた。しかし、宗教が問われる時代は人々がまだ幸福ではないことを物語っている。皆、幸福になれば、宗教は必要ではなくなるだろう。その意味で、宗教の教えは一種の人生の危機管理だ。

 新たな70年を「宗教が必要ではない社会」を築くために今、宗教・倫理・道徳の助けを受けながら、「持続的な幸せを獲得するためにはどのような生き方が大切か」を考えていきたいものだ。韓国の自殺率トップのニュースは韓国だけの問題ではない。日本も含め国際社会の今後の課題が何かを示唆しているように思えるのだ。

(ウィーン在住)