バチカンの「退屈な説教対策入門書」


 「最近の若者はどんなイベントに参加しても、最初に口に出す言葉は“面白かった”か、“退屈だった”かだ」とよく聞く。そして退屈なことは敬遠するようになる。

 退屈な話の代表的な例は結婚式での関係者の祝辞だ。だらだらと新郎、新婦を褒める一方、人生訓を垂れるから益々退屈となる。いいか悪いかは別として、時は金なりで、短く、しかし面白い話が重宝がられる時代だ。

 そして、長く、面白味のない話が嫌われるのは結婚式の祝辞だけではない。日曜日ミサの説教を担当する神父たちにも当てはまることだ。退屈な説教を長々する神父は信者から嫌われる。退屈な説教が続くと、日曜礼拝に参加したいという気持が失せていく。だから、日曜礼拝の参加率が低迷する。

 そこでローマ・カトリック教会総本山のバチカン法王庁典礼秘跡省は聖職者の“退屈な説教”対策に関する入門書を発表した。バチカン放送独語電子版によると、典礼秘跡省長官ロベール・サラ枢機卿は10日、「教会の礼拝の評価は説教者の話が面白いか、退屈かで決まる。この入門書は神父たちの説教の質向上を目指している」と述べ、入門書の発表目的を明らかにしている。

 現代社会はインターネット時代であり、コミュニケーションが重要視される。カトリック教会でも退屈な話をする神父たちの再教育が必要となってきたわけだ。いずれにしても、「退屈な説教をしない入門書」がバチカンで発行されるといったことは学者法王のべネディクト16世時代には考えられなかったことだ。南米出身のローマ法王フランシスコの影響が大きいだろう、法王は信者とのスキンシップを大切にし、話も短く、結構面白い。

 法王就任後もバチカンのゲスト・ハウスのサンタ・マルタに住むフランシスコ法王は毎朝、バチカン関係者を集めて朝拝をしているが、その内容は簡単明瞭だ。聖職者の官僚主義、キャリア主義に警告を発する一方、貧困者への具体的な連帯を求める。フランシスコ法王は誰でも理解できる話し方で語り掛ける。法王の高い人気の理由はその辺にあるのだろう。そこで法王に倣って“面白い説教”を学ぼうというわけだ。

 入門書(約150頁)には、説教は何分間にまとめるべき、といった具体的な話は記述されていない。説教する場所や対象によって、説教の長短は異なるからだ。欧州教会で20分も話せば長すぎると受け取られるが、アフリカ教会では長い説教が必要だ。なぜならば、「遠い道のりを歩いて教会に来た信者たちの熱意と努力に報いるために、説教者はどうしても長く話そうとする」という。

 残念ながら、入門書には退屈な説教をしないための具体的なアイデアは乏しい。当然かもしれない。説教時間は調整できるが、説教の内容となれば、説教者の人生や体験が大きな影響を及ぼすからだ。面白くない話を面白く語ることは容易ではない。結局は、信者たちが今、何を考え、悩み、喜んでいるかを知って、それに呼応する話が求められるわけだ。

 神父たちはエンターテイナーとなる必要はないが、聖職も一種のサービス業だ。信者の要望に応えることは大切だ。退屈な説教は、信者ばかりか、話す神父にも苦痛だからだ。

(ウィーン在住)