一層無口となった北朝鮮外交官たち
ウィーン市14区の北朝鮮大使館で4日午後、第66回建国記念日の祝賀会が開催された。建国記念日は今月9日だが、海外の北朝鮮大使館ではその数日前にゲストを招いて祝賀会を開催するのが通例となっている。特に、8日から国際原子力機関(IAEA)の定例理事会、そして年次総会が開催されるため、多くの外交官は多忙であり、北の祝賀会に出席できなくなることが予想された。そこで今回、かなり早めに開くことになったというわけだろう
北大使館の金光燮大使(金正恩第1書記の義理の叔父)は6月末から平壌に夏季休暇中で、ウィーンに帰任するのは9月末か10月初めの予定だ。祝賀会は大使不在のもとで開かれた。ゲスト数は約50人。オーストリア・北朝鮮友好協会(エデュアルト・クナップ会長)メンバーのほか、親北知識人、実業家たち。それに国連関係者や外交官の姿もあった。故金正日総書記の誕生日祝賀会とは違い、建国記念日ということから西側外交官も参加に抵抗感が少なかったと考えられる。
ここまでは昨年の第65回の建国記念日とほぼ同じだ。1年前の記事に日付を入れ替えれば終わりだが、66回の建国記念日は65回とは本来違うはずだ。金第1書記が昨年末、叔父張成沢氏(元国防副委員長)を処刑した後、初めて迎える建国記念日だ。もちろん、本人も心構えが違うだろうが、大使館に招かれたゲストにとっても少し違ったはずだ。昨年以上に、緊迫感があったはずだ。
父親・金正日総書記の突然の死後、政権を継承した金正恩第1書記は叔父の張成沢氏の入れ知恵もあって不足するカリスマ性を補うために祖父・金主席の言動を摸倣し、重要な大会では生の演説をし、髪型も祖父に似たスタイルに変え、祖父世代にノスタルジーを呼び起こした。その後、次第に自立して、米韓との軍事抗争に立ち向かい「孤高の指導者」というイメージを前面に出すなど、新しいイメージ作戦に乗り出してきた。その矢先、叔父の張氏を処刑したわけだ。同第1書記は3代世襲政権で初めて親族を処刑した指導者として国民に記憶されることになった。
具体的に考えてみよう。張成沢処刑後、駐オーストリアの北朝鮮はどのように変わったのか。相互監視体制が強化されたことだ。今回も大使館周辺でゲストの面々を取材していた当方に対し、治安担当外交官が飛び出してきて「今夜のイベントはわが国のナショナルデーだ。君が大使館前に立ってゲストに話しかけるのはわれわれにとって非常に不快だ。大使館前から立ち去っていただきたい」と言ってきた。昨年の建国記念日祝賀会でもそうだったが、今回はかなり脅迫的だった。当方は不必要な喧嘩をしても意味がないので、「わかりました」といって大使館前から歩き出した。当方がデジタル・カメラで大使館を撮影したのを監視カメラがとらえていた、といった具合だ。
北外交官は喋らなくなった。数年前までは少し冗談もいえたが、今は会話は一切できない、といった雰囲気がある。いずれにしても、北の凍国・北朝鮮は昨年以上に寒い冬を迎えようとしているのだ。金第1書記の妹、金汝貞氏の党内の権力序列が上がったという情報が流れてきた。親族の党内地位が上がるということは、金第1書記の親族支配の強化を物語るというより、叔父張成沢氏処刑後の同第1書記の心の揺れを示しているとみるべきだろう。
(ウィーン在住)