護国は誰とやる?


地球だより

 6月の統一地方選でソウル市長に名乗りを上げているある女性議員が集会で、軍人だった父親から「いくら危険が差し迫っても、敵が撃ってこなければこちらから敵を撃つことはできないんだ」と聞かされ、ショックを受けたというエピソードを紹介していた。「こんなことで国を守れるのか」と思った彼女は、自分が国を変えなければと思い立ち、国会議員に立候補したという。

 彼女のスピーチに聴衆は「オルソー!(その通りだ)」と沸いていた。国を思う気持ちはどこの国も一緒だろう。ましてどんな挑発をしてくるか分からない北朝鮮と対峙(たいじ)している韓国人なら、なおさらのことだ。突然南侵してきた韓国動乱や数年前の哨戒艦撃沈にみられるように、やられてからでは遅いことを韓国国民は何度も経験してきた。

 日本の国会で議論されている集団的自衛権が韓国でも時々話題に上ることがある。その際に決まって出てくるのは「軍国主義の復活」だ。だが、そんな韓国人に対し、筆者は決まってこう説明することにしている。「敗戦で日本人の好戦的な“DNA(遺伝子)”は変わりました。むしろ警戒すべきは共産主義国家・中国ではないのですか」と。

 「ある国(韓国)が武力攻撃を(北朝鮮から)受けた場合、これと密接な関係にある他国(日本)が共同して防衛に当たる権利」(大辞泉、カッコ内は筆者)が集団的自衛権だ。日本絡みはどうしても“過去眼”的に見えてしまうというのなら、動乱で北朝鮮を援軍し、今も海洋覇権主義を振りかざす過去のままの中国の“DNA”こそ直視すべきである。

 せっかくの護国精神が敵味方を見間違えて空回りしないといいのだが……。

(U)