心に沁みた慰労の言葉ー韓国から


 東日本大震災から10年となった日に合わせ、ソウルでは日韓両国の関係者による記念行事が行われた。

 相星孝一駐韓日本大使は、当時いの一番に海外から救助に駆け付けてくれた韓国国際救助隊の隊長に感謝状を授与し、津波の被害から復旧した宮城県の日本酒が参加者に振る舞われた。会場の横断幕に「感謝と復興」と記されていた通り、韓国に対する感謝の念を噛(か)み締める場となったようだ。

 あの日、筆者はソウルの仕事場にいた。衛星テレビで上空のヘリ機から撮った、押し寄せる津波の映像を食い入るように見ていた。言葉にならない思いが頭の中をめぐり、ただ気忙しくしていると、親しくしていた韓国の友人から電話がかかってきた。

 「日本が大変なことになってるけど、大丈夫か」「日本にいらっしゃるご両親にケガはなかったか」と立て続けに尋ねてきた。その気遣いがありがたく、熱いものが込み上げた。

 日本人と結婚した知り合いの韓国女性も、あちこちから電話がきて慰労の言葉を掛けられたそうだ。職場の上司は「今日はもう仕事をしなくていいから」と言って、一緒にテレビの前に座り、心配してくれたという。

 震災10年の今なお、韓国は事故を起こした原発汚染処理水の放流や水産物輸入規制の撤回働き掛けなどをめぐり日本に噛み付いてくるけれど、あの日の数々の思いやりは嘘(うそ)偽りのないものだったと思っている。

(U)