旧民主党が政権奪取した09年総選挙から10年、相変わらず反自民を煽る朝日

◆当事者は「反省の弁」

 十年一昔という。旧民主党が自民党から政権を奪取した2009年8月の総選挙から10年が経(た)った。もはや昔話か。これをテーマに社説を掲げたのは毎日1紙だけだった。

 毎日30日付社説は「政権交代選挙から10年 大変動期の野党像を探る」と題し、「有権者の投票がストレートに政権交代をもたらしたのは戦後初めてだった。それほど歴史的な出来事だったのに、積極的に振り返る機運に乏しいのは『失敗に終わった政権』のイメージが定着しているからだろう」と述べている。これには首肯(しゅこう)したい。

 民主党政権に何かいい思い出がないものかと記憶を辿(たど)ってみたが、何一つ浮かんでこない。やはり「あの悪夢の民主党政権」(安倍首相)が国民的コンセンサス。そう言っても過言ではあるまい。

 当事者はどうか。旧民主党の流れを酌む立憲民主党の枝野幸男代表、国民民主党の玉木雄一郎代表が旧民主党政権について相次ぎ「反省の弁」を述べている(産経31日付)。「大きな期待に応えられなかったことへの反省」(枝野氏)、「あれだけの期待をいただいて結果として裏切ってしまった」(玉木氏)。なるほど反省している。

 といっても反省の中身は曖昧模糊(もこ)としている。それでも「反省」の言葉があるから、「失敗に終わった政権」の自覚はあるのだろう。

◆朝日に椿事件の前科

 こんな政権をいったい誰がつくったのか。むろん有権者だが、当時、「政権交代ええじゃないか」の音頭を取って国民を踊らせ、誤判断を強いたのはテレビと新聞にほかならない。わが国の民放各社は新聞の系列下にあるから、最大の「戦犯」は新聞と断じてよい。とりわけ朝日である。

 朝日は総選挙公示日の8月18日付社説に「『09年体制』の幕開けを」とのタイトルを掲げ、「政権交代がごく普通に繰り返される『2009年体制』の政治。30日の投票日、民意の力で新しい民主主義のページをめくりたい」と、政権交代を呼び掛けた。事実上、民主党に投票するよう促したのである。

 日本の新聞は米国のように支持政党を明らかにしない。他紙は「政権選択の選挙」(毎日)、「政権を選ぶ歴史的な選挙の幕が開く」(日経)とし、いずれも民主党への好感度は高かったが、それでも政権交代と言わずに「政権選択」としていた。真正面から「政権交代」を唱えたのは朝日だけだった。

 朝日には椿事件という前科がある。1993年の総選挙で自民党が負け野党連立政権が誕生したが、テレビ朝日の椿貞良報道局長(当時)は「反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道」を指示し、偏向報道を繰り広げた。選挙後、椿氏は日本民間放送連盟の「放送番組調査会」(93年9月21日)で反自民報道を誇らしげに語ったため偏向が暴かれ、国会で問題視され辞任に追い込まれた。それを朝日は懲りずに09年総選挙でもやったに等しい。

 当時の民主党のマニフェスト(政権公約)を吟味すれば、失敗するのは目に見えていた。実際、政権の座に就くとマニフェストは画餅であることがあからさまになった。それで朝日までもが「豹変(ひょうへん)」を勧めたが、毎日だけはマニフェスト至上主義を唱え続けた。ともかく朝日と毎日は民主党政権にしがみ付いていた。

◆未練たっぷりの毎日

 毎日にはその余韻があるらしく、冒頭に紹介した社説は未練がましく「野党像」を探っているが、論旨は五里霧中である。朝日は10年前の政権交代に一切触れずに「野党統一会派 行政監視の実を見せよ」(22日付社説)と、野党を論じる。「旧民進党が分裂してできた『多弱』野党が、再び手を組むだけでは、迫力は生まれない。『安倍1強』に対抗し、政治に変化をもたらす、強い意志と実行力が問われる」と、相変わらず反自民を煽(あお)っている。

 朝日の辞書に「反省」の文字はないのである。これを無責任メディアと言う。

(増 記代司)