現実的方策を想像せず「核廃絶」のお題目を唱える朝日の空想的平和主義
◆現実顧みぬ禁止条約
「政治に責任を持つ者は現実の処理に全力を注ぐべきであって、理想などに煩わされてはいけない」と、立教大学元総長で参議院議員を勤めた故・松下正寿氏は忠告している(『聖徳太子 政治家として』ライフ出版)。
理想を云々(うんぬん)すると偉そうに見えるかもしれないし、自分でも偉そうな気がするかもしれない。しかしそれは自己欺瞞(ぎまん)、自己陶酔であって、そんなものに利用される衆生こそいい迷惑である。政治家は徹底的現実主義者で全力を現実の処理に注入すべきである、と。
毎年、8月になると松下氏の言葉が脳裏に浮かぶ。戦争モノが新聞に溢(あふ)れ、現実を顧みない「理想」がやたらと語られるからだ。昨今では一昨年に国連で採択された核兵器禁止条約だ。松井一実広島市長は6日の原爆記念日の平和宣言で、政府に核兵器禁止条約に賛成し「核なき世界」へ主導的な役割を果たすよう求めた。9日には田上富久長崎市長が同様に語った。
けしかけているのは朝日だ。「理解に苦しむのは、戦争被爆国・日本の政府が条約の採択時に参加せず、いまなお否定的な態度を続けていることだ」(7日付社説)、「被爆地の訴え 首相には聞こえぬのか」(10日付社説)と雄叫びを上げている。
◆核保有国は賛成せず
核兵器禁止条約に賛成すれば、まるで「核なき世界」が実現するかのようだ。こっちの方こそ、理解に苦しむ。条約は122カ国が賛成して採択されたが、核保有国は1国も賛成しなかった。
独伊などの北大西洋条約機構(NATO)加盟国も賛成しない。その中には条約を仕掛けたNGO団体にノーベル平和賞を授与したノルウェーも含まれる。また豪州や韓国も賛成しない。核の脅威を見据えれば、米国の「核の傘」(抑止力)が必要と考えるからだ。むろん日本もそうだ。
中立国スウェーデンは採択では賛成票を投じたが、今年7月、バルストロム外相は「署名できる条約であったならば、とは思う。しかし、リアリストでもあらねばならない」と述べ、署名しない方針を表明(AFP通信ネット版7月13日)。核シェルターの再整備も進めている。
条約は50カ国が批准して初めて発効するが、批准国は25カ国にとどまる(7月末現在)。賛成だった北朝鮮は核開発に成功すると不参加に転じた。条約に賛成すれば核廃絶が実現する? そんな思い込みは厳しい国際社会では通用しない。
朝日は「核兵器が使われたら、身の回りはどうなるのか。被爆者の苦しみを想像し、自分に当てはめてみる。そうした市民一人ひとりの営みこそが、核を使わせず廃絶へと向かう武器となる」(7日付社説)という。そういう想像だけで、核の惨禍から国民を守れるなら苦労はしない。必要なのは現実的方策だ。
◆抑止力や避難所整備
例えば、英仏は米国の「核の傘」に安逸できないと自ら核を持ち、独伊などは自国内に配備した米国の核を有事に使う「核シェアリング(核共有政策)」で抑止力を高める。
あるいは座して死を待つわけにはいかないと考えるなら、核攻撃を仕掛ける敵基地を破壊する、敵基地攻撃能力を持つ。陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を導入して撃ち落とす。全て落とせる保証がないから、スウェーデンのように核シェルターを整備する。こういう現実的な方策を想像せず、「核廃絶」のお題目だけを唱えるから朝日は空想的平和主義と言われるのだ。
松下正寿氏は東京都知事選で「福祉の美濃部」と戦ったことで知られる(1967年)。美濃部革新都政はバラマキ福祉で都財政を破産寸前に陥れ、一人でも反対があれば建設しないという「橋の哲学」で首都開発を停滞させ、都民はいい迷惑を被った。これはまだしも、核の惨禍は取り返しがつかない。朝日の自己陶酔に付き合っていれば、命がいくらあっても足りない。
(増 記代司)





