「御代」「血脈」の概念を持ち合わせず「自分だけ」の虚しい朝日の反元号
◆連続性直覚さす元号
新しい元号が1週間後に発表され、来たる5月1日から次なる御代へと移る。こうして国民は天皇を軸に時を同じくする。何という素晴らし伝統だろうか。
拓殖大学学事顧問の渡辺利夫氏は山梨県の生家を解体した際、明治37年に母方の祖父が日露戦争に出征するために撮った家族写真が見つかり、深く心を動かされたという(産経13日付「正論」)。
「個人の生命は生老病死のサイクルから逃れられない。しかし、曽祖父母、祖父母、父母を通じて自分にいたり、そこから子、孫、曽孫へと繋(つな)がっていく血脈の中に生きて在るという自意識を忘却して生きる人生は、いかにも虚(むな)しい」
渡辺氏はそこから御代の変わりに思いをはせ、「限りある個々の人間の人生が代々とつづく血脈の中にある、そういう連続性を私どもに直覚させてくれるものが一世一代の制ではないか」と述べている。
歴史家の磯田道史氏は、元号が変わっても国民生活は変わらないように見えるが、国民の心性、メンタリティーに少なからず影響を与えているという。
「日本人には御代(みよ)という概念が結構あります。『家』という制度を社会の軸にした期間が長かったからで、将軍でも大名家でも農民でも親から子への代替わりは大きな時代の画期ととらえられ、その総鎮守が天皇の代替わりになってきた。疑似家族的な集団で自分たちを理解する伝統は、薄くなったとはいえ、まだわれわれにある気がしますね」(産経20日付「改元に思う」)
◆戦後、廃止の危機も
明治は遠くなりにけり、大正デモクラシー、激動の昭和。そんな具合に元号があることによってその時代を特徴付けて共有し、そこから日本人のアイデンティティーが形作られてきた。少なくとも明治以降の近代日本にとって一世一元の元号を抜きに国民精神はなかったように思う。
ところが戦後の一時期、元号は葬り去られようとした。渡辺氏は前掲の「正論」の中で、日本学術会議が昭和25年に「元号廃止 西暦採用について(申入)」において「新憲法の下に、天皇主権から人民主権にかわり、日本が新しく民主国家として発足した現在では、元号を維持することは意味がなく、民主国家の観念にもふさわしくない」と断じた史料を紹介し、「アカデミズムはもとより、国会での審議においても元号に対する嫌悪感や敵愾(てきがい)心、ご都合主義がまかり通っていたことを知り驚きを禁じ得ない」とし、さらにこう指摘する。
「左翼リベラリズムの影響がいまだ濃厚な現在の日本においては、そのような言説が再び頭をもたげてこないとはいえない」
案の定と言うべきか、朝日が渡辺氏の危惧通りの言説を展開している。21日付社説「『改元』を考える 時はだれのものなのか」がそれである。朝日は通常、社説を2本立てるが、この日はこれ1本。言ってみれば勝負社説だ。
◆元号法反対した社共
その中で、さまざまな「時」の話を持ち出すが、「歴史を振り返れば、多くの権力は、時を『統治の道具』として利用してきた」「日本の元号も、『皇帝が時を支配する』とした中国の思想に倣ったものである」とし、決め台詞(ぜりふ)のように次の一節を書く。
「1979年に現在の元号法が成立した際、元海軍兵士の作家、渡辺清は日記に書いた。/『天皇の死によって時間が区切られる。時間の流れ、つまり日常生活のこまごましたところまで、われわれは天皇の支配下におかれたということになる』(『私の天皇観』)」
どうやら反戦作家の元号観に共鳴しているようである。これを言いたいがために社説を書いたのだろう。振り返れば79年当時、国会で元号法に反対したのは共産党と社会党の二つの共産主義政党だった。今でも共産党は「元号は、時をも君主が支配するとの考えからきている」(志位和夫委員長=2月28日の記者会見で)として反対している。
朝日も同類である。朝日は「御代」という概念も、先祖から引き継いだ「血脈」という概念も持ち合わせない。社説は「時を過ごし、刻む自由はいつも、自分だけのものだから」と結んでいる。そこにあるのは自分だけ。朝日の反元号はいかにも虚しい。
(増 記代司)