東京・望月記者の質問への官邸申し入れを言論弾圧のごとく報じる朝毎東

◆取材でなく決め打ち

 なぜ今頃になって騒ぐのだろうか。昨年末、首相官邸の報道室長が「内閣記者会」宛てに東京新聞記者の質問を「事実誤認がある」と指摘し、「正確な事実を踏まえた質問」を行うよう申し入れた。その後、あまり取り上げられなかったが、2月に入ると突然、申し入れが官邸による言論弾圧のように報じ始められた。何とも不可解な話だ。

 昨年12月26日の記者会見で、東京の望月衣塑子記者が米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐって「埋め立ての現場では赤土が広がっている」と質問した。だが、赤土が広がっているというのは望月記者の臆測だった。それを断定して質問したので、官邸報道室が申し入れを行った。望月記者に“前科”があるからだ。

 2017年9月に官邸報道室は加計問題をめぐる望月記者の質問について「未確定な事実や単なる推測に基づく質疑応答がなされ、国民に誤解を生じさせるような事態がある」と抗議している。これを産経が報じたところ、望月記者から「官邸が産経にリークした」と、いわれなき批判を受けた。

 抗議文は東京の官邸キャップの了承の下で常駐各社に配られており、望月記者は謝罪を余儀なくされた。一事が万事と言うべきか、質問は「取材ではなく、決め打ち」(菅官房長官)が多い。官邸は17年以降、延べ9回、東京に抗議しているという。

 今回の官邸の申し入れに対して内閣記者会は「質問を制限することはできない」としているが、内心はどうか。望月記者の「決め打ち」質問は目に余るものがあり、他の記者の「知る権利」を奪っているように思えるからだ。

◆労組声明に朝日呼応

 記者会の内規は知らないが、常識的には質問件数や時間をおおむね決めておくものだろう。国会でも質問時間は決められている。それを望月氏はやりたい放題。おまけに社会部記者だ。時の政治課題を問いたい政治部記者は苦々しく思っているのではないか。それとも「会見ジャック」を許すほど無能なのだろうか。

 それはさておき、1月に入って望月氏は辺野古の土砂問題で再び菅官房長官に質問し、相手にされなかった。これで問題は終わったかと思いきや、共産色の強い日本新聞労働組合(新聞労連)が2月5日に唐突に抗議声明を発表した。

 声明は、「明らかに記者の質問の権利を制限し、国民の『知る権利』を狭めるもので決して容認できない」とし、「国民を代表する記者」に官房長官は理解を求めよと言ってのけている。何と望月記者を「国民の代表」に押し上げているのだ。憲法は国会議員を「国民の代表」(43条)としているから、菅官房長官もさぞや驚いたに違いない。

 この声明に呼応したのは東京でなく朝日だった。7日付メディア欄で「記者を問題視、官邸に批判」と報じ、その中で東京を取材し「『内閣記者会への申し入れであり、本紙としてのコメントはありません』と回答。今回の申し入れで官邸に抗議はしていない、と述べた」としている。翌8日付に朝日は「『質問制限』容認できぬ」との社説も掲げた。

 これを受け野党議員が12日の衆院予算委で追及したが、菅官房長官は東京側から抗議の一部に対し、「事実誤認があった」という回答を受けていると述べている。どうやら東京も望月記者に手を焼いているようだった。政府は15日に「政府として質問を制限できる立場になく、その意図もない」との答弁書を閣議決定し一件落着かと思われた。

◆記者会をオープンに

 ところが、東京は20日付に1ページを使った検証記事を掲載し、一転して官邸に噛み付いた。望月記者や労組から突き上げがあったのか。毎日も24日付社説で「自由な質問を阻む異様さ」と、「安倍一強」の印象操作に利用している。

 だが、質問封じと言うけれど他の記者ではこんな話は聞かない。なぜ望月記者だけに問題が生じるのか。記者会見にはルールも社会的常識もあろう。それを一人望月記者が逸脱しているというのが実際のところではないのか。

 記者会(記者クラブ)は新聞系大手メディアがフリーランスなどを排除する取材独占の既得権組織だ。「知る権利」を振り回すなら、その前に記者会をオープンにしてしかるべきだ。それもしないで「国民の代表」面はみっともない。

(増 記代司)