日本人の「精子力」の衰えを取り上げ日常生活での注意点を示したNHK

◆新規のAID停止へ

 無精子症など、夫に不妊の原因がある場合、第三者の精子を使って人工授精する「非配偶者間人工授精」(AID)について、慶応大学病院がこのほど新規患者の受け入れを停止する方針を決めた(本紙10月31日付)。

 AIDは1948年に、同病院が最初に行ったものだ。AIDが子供を望む多くの夫婦を救ってきたのは確かだろう。その一方で、自分が両親の関係の中で生まれたのではなく、エゴで人工的につくられたのではないかとの思いから、子供のアイデンティティーを崩壊させてしまうことも指摘されるし、親子関係をめぐる訴訟も起きている。

 それだけ深刻な課題を抱えた生殖補助医療を70年間も続けてきたという方が異常なのかもしれないが、この欄のテーマはAIDそのものではない。精子の数が少なかったり、異常のある精子が多かったりするなど、日本人の「妊娠を成功させる精子の力」、つまり「精子力」が衰えており、それを改善できれば不妊治療に頼る夫婦が減るのだが、そのための正しい知識の普及に、メディアは役立てるはずだというのがテーマ。

◆最低レベルの精子数

 NHKは今年に入って、日本人の精子が危機的状況に陥っていることに焦点を当てた番組を3回放送した。「クローズアップ現代+」(クロ現)の「男にもタイムリミットがある!?~精子“老化”の新事実」(2月6日放送)、「NHKスペシャル」の「ニッポン“精子力”クライシス」(7月28日放送)、そしてクロ現代「“精子力”クライシス 男性不妊の落とし穴」(9月19日)だ。同じデータを再利用している面もあったが、視聴者に危機意識を持たせる上では、それも効果的だろう。

 まず番組が取り上げた衝撃的な数字を紹介しよう。昨年、欧米男子の精子を調査したところ、過去40年間で半減していた。さらにショッキングなのは、日本人の精子数は、欧州4カ国と比べると、最低レベルだったという。

 自然妊娠するためには数だけでなく、精子の「運動率」「DNAの損傷率」も見ないといけないそうで、ある調査では、5人に1人が精子の数と運動率で自然妊娠の基準値を下回っていた。問題はその原因。化学物質の影響のほか、生活習慣が考えられる。脂肪の取り過ぎなどの食生活、喫煙、睡眠・運動不足、ストレスなどだ。ここでその詳細を説明する紙幅はないが、これらを改善すれば、精子力もアップするわけで、番組では生活習慣を変えることによって数値が改善した例も示したから、説得力がある。

 また、活発な精子の数は、30歳以降大きく減っていくことが分かっているが、男性の平均初婚年齢は現在31歳。卵子の老化についても言えることだが、われわれ日本人は妊娠や出産について、どれだけ正しい知識を持っているかとなると、はなはだ心もとない。医療技術が発達したからと、40歳になっても出産できると漠然と考え、結婚を先送りしている男女もいるだろう。しかし、出産適齢期を過ぎて、精子や卵子の老化の話を聞いても遅い。

◆若者に正しい知識を

 日本は不妊治療を受けている患者数が世界第1位と言われる。また、生まれる子供の27人に1人が生殖補助医療に頼っているという統計もあるほど、日本人の“妊娠力”が衰えているのは事実で、その背景に知識不足があったとしたら、教育の問題である。妊娠力が衰えた精子を使って体外受精を行っても妊娠する可能性はぐっと下がるわけで、にもかかわらず生殖補助医療に大金を注ぎ込んでいるとしたら、気の毒としか言いようがない。

 さらに、慶応大学病院のように、AIDを停止する病院が増えてくると、懸念されることがある。同じ男性から提供された精子によるAIDが増えて、同じ精子から生まれた男女がそれを知らずに恋愛関係に陥るという危険性である。

 そんな悪夢が現実とならないためにも、政府は、妊娠・出産についての正しい知識を若者に伝え、不妊のリスクを避ける努力を行うべきだが、それをやろうとすればかつて「女性手帳」がバッシングされたように、個人の選択に対する「国家の介入」という左派のレッテル貼りによって立ち消えになるのがこれまでのパターン。

 メディアの責務は、政権批判ばかりではない。政府ができないのであれば、公共放送に、若者のための結婚・妊娠講座を大々的にやることを提案したい。

(森田清策)