テロ防止策に言及せず防犯カメラに反対する空想的平和主義の朝日論説陣

◆記者は献身的に取材

 「赤報隊事件」と題されたNHKドラマが先週、放映された。1987年に朝日新聞阪神支局が襲撃され小尻知博記者が死亡した事件で、赤報隊が犯行声明を出したが、犯人逮捕に至らず、未解決のまま15年前に時効となった。

 ドラマは犯人を追う朝日記者らを描く。およそ1年ぶりに俳優に復帰した元SMAPの草彅剛さんが取材班のリーダー役(樋田毅氏=昨年末退社)を見事に演じていた。朝日28日付「天声人語」は「筆者が教えを受けた先輩記者たちが実名で次から次へと登場する。片時も画面から目が離せなかった」と感慨深げに記している。

 樋田氏らは「犯人を突き止めるまで記事を書かなくてもよい」との社命を受け、取材に駆けずり回った。本懐を遂げるまで藩に戻らなくてよい。朝日の社命は「仇(あだ)討ち」を思わせた。それに応じた現場記者には頭が下がった。

 実は筆者も朝日記者から教わったことがある。駆け出し記者の頃、京都府下でカドミウム汚染米事件が起こり、京都支局の記者と取材を共にした。分厚い大学ノートにびっしりメモ書きがあり、その隙間に切り抜きが何枚も貼られていた。保健所長の取材では入念にペンを走らせ、疑問には質問を重ねた。これぞ新聞記者。NHK番組はそんな支局記者を思い出させた。

◆犯罪防止の現実見ず

 だが、朝日本社はどうか。朝日の論調を批判する団体や人々に疑いの目を向け、「冤罪(えんざい)」も顧みずに異様な反・反朝日キャンペーンを張った。当時、スパイ防止法制定運動が盛り上がっており、その推進団体が標的にされた。何よりも解せなかったのは犯人捜しだけに執着し、テロ防止策には口を閉ざしたことだ。

 もとより暴力による言論封じは断じて許されない。それは朝日だけでなく、誰を対象にしようが言えることだ。だからテロ防止策を考える。当たり前の話と思うのだが、朝日にはそれがなく、違和感を強く抱かせた。

 その典型が先週、本欄で取り上げた防犯カメラだ。地域に多数設置されたことで犯罪が減った。ところが朝日は防犯カメラを「監視カメラ」と呼び、「個人の自由が危うい」といった論調を張り続けた。

 先にオウム事件の裁判が終結したが、24日付社説「オウム裁判 『組織と個人』問う22年」は、「社会の側は街中に防犯カメラを張りめぐらせて防御を固める道を選んだ。しかしそれは対症療法でしかなく、表向きの安心・安全の裏で、息苦しさももたらしている」と論じた。

 防犯カメラとようやく書いたが、「息苦しさ」をあげつらっている。いったい誰が息苦しいと言うのか。犯罪予備軍か、意識過剰な人権主義者ぐらいではないか。対処療法を侮っているが、それによって犯罪が抑止されている現実を見落としている。

◆国家の「監視」と独断

 防犯カメラについては毎日の春増翔太記者が神奈川・座間の連続殺人事件の事実関係を整理し、捜査当局が防犯カメラさえ調べていれば、一連の事件を防げたとしている(23日付「記者の目」)。

 それによれば、昨年9月末に行方不明となった福島と埼玉の女子高校生の携帯電話の最後の電波を、容疑者のアパートの3軒隣に設置された基地局が拾っており、駅周辺の防犯カメラを調べれば、容疑者を割り出せ、八王子の女性の被害を防げたという。捜査陣が「集団自殺」と思い込み、防犯カメラを調べなかった。

 朝日事件当時、防犯カメラはほとんどなかった。あれば容疑者の足取りを追い、犯人逮捕に至ったかも知れない。そう考えれば、防犯カメラの設置に賛成こそすれ、反対する理由はない。プライバシー侵害を危惧するなら、運用に注文を付ければ済む。それを国家権力の「監視」と決め付けるから偏向と批判される。

 オウム裁判では本紙22日付と産経24日付も社説で取り上げ、同教団に破壊活動防止法を適用せず、組織を壊滅しなかったので不安を残したとし、松本智津夫死刑囚の刑執行を促している。

 ところが朝日社説は、テロ防止策にも死刑執行にも言及せず、「個人と組織」を情緒的に論じるだけだ。こういう現実逃避を空想的平和主義と呼ぶ。論説陣のこの姿勢を現場記者はどう考えるのか、聞いてみたいところだ。

(増 記代司)