週刊現代の曽野綾子氏「家族を見送る」連載途中での議論に違和感も

◆夫の最後の日々綴る

 作家の曽野綾子氏が、間質性肺炎のため2月3日91歳で亡くなった、夫で作家の三浦朱門氏の最期の日々を週刊現代に綴(つづ)っている。「家族を見送るということ」というタイトル(初回は「夫・三浦朱門との別れ」)で、2月25日号から現時点の4月1日号まで連続5回。

 1年ほど前、自宅で夫の介護を始めた曽野氏だが、左脚に痛みが出るなどして「看護人としての私が、かなり急激に『役立たず』になっ」てしまった。それで昨年末には介護の手が備わっている老人ホームへ三浦氏を入所させることを余儀なくされた。

 それから1カ月ほどたった今年1月26日、その施設から「救急車で病院に搬送します」という報告を受けた曽野氏。その後1週間余、夫が亡くなる2月3日まで、搬送された病院で夫の容体を見守ることになる。

 短期間にめまぐるしく変わった環境の変化を曽野氏は静かに受け入れる。

 「人間は変わらざるをえないものなのだ。だから私は変化を受け止め、できるだけ軽くそれを受け流し、新しい事態に耐えて行くことが私の任務だとずっと若い時から思っていた」と述懐している。

◆末期医療看護受ける

 しかも朱門氏は、搬送された病院で、「約九日間、末期医療の看護を受けた。決して放置されたのでもなく、投げやりな死を迎えたわけでもなかった。朱門は現代の日本国民として充分な医療の恩恵を受け、意識のあるうちに息子夫婦にも、イギリスに留学中の孫夫婦にも会い、最後の夜は私が病室のソファで過し、華麗な朝陽の昇るのに合わせて旅立って行った」というのである。

 無事に見送ることができた背景に、介護する人(曽野氏)の強い意志と知恵があり、現代の練られた医療体制があることが分かる。それに反し、今日、わが国でいわば自然体での介護、見送りが、ややもすれば難しくなっている状況は、介護人の定見、医療の利用の仕方に難があるからではないかと思われる。

 「誰にとっても、人生は予期していなかったことだらけなのだ、と私は思った。九十一歳の老人が一挙に人生の幕を引けたなどというのは、始末のいい最期だが、若い世代の家庭が長引く病気の家族を支える姿を見るのは辛い」と、家族を見送った心境を述べ、文を締めている。

 一方、週刊現代の編集部は、朱門氏が喉の渇きを訴え、曽野氏が水を飲ませようとした時、医師から「ストップ」がかかったことについて、連載2回目の後に取り上げている。「夫に『末期の水』を飲ませることを医師が拒否」というタイトルで「介護に向き合う誰もが直面しうる『葛藤』であり、終末医療が抱える大きな問題を孕(はら)んでいる」と。そして患者側の希望通りにさせるか、少しでも生かすことに意を注ぐか、医師たちの各主張を併記している。

 しかし、これはどちらにすべきか、という問題ではなく、医師との信頼関係の中で介護人が決定することであり、そこにこそ現代医療を利用する際の要諦があるのではなかろうか。連載の途中での議論に違和感が残った。

◆担当医の有無が重要

 ここで一つ注目したいのは、朱門氏が入所した施設で、「普段から往診してくださっていた家庭医の小林徳行先生」の存在。「酸素が極端に減っているので、救急車で病院に搬送します」と曽野氏に連絡したのも同医師だ。医師が常駐している施設かどうか分からないが、医師の素早い判断、対応があったと見るべきだ。

 一般に老人ホームと医師の関係は切り離せない。入所者は高齢であり、健康状態について日頃から不安は隠せないだろう。今日、多くの老人ホームでは、医師が定期的にホームに通い、入所者の健康状態をチェックしている。入所者にとって担当医でもある。いったん事あれば、担当医は駆け付け、ことによれば生死の分かれ目の事態で対応することになる。

 出張してくる医師が、本当に親身になってくれる医師かどうか、老人ホーム選びでは、その医師の日頃の評判もチェックしたい。良い医師に恵まれることは入所者だけでなく、家族にとっても非常にありがたいことだ。

(片上晴彦)