対北朝鮮で具体論示さぬ朝毎はミュンヘン協定の失敗を肝に銘ずべき
◆平和主義は通用せず
9・11米国同時多発テロから15年。今も当時のブッシュ米大統領の対テロ戦を疑問視する声がある。平和主義者は言う、「暴力はさらなる暴力を生むだけだ」と。確かにこの15年、テロは絶えず、暴力の連鎖が続いている。
だが、時として、暴力に対抗しないことが、さらなる暴力を生むこともある。ブッシュ大統領がテロに反撃しなければ、テロ組織アルカイダのオサマ・ビンラディンは米国に2度と手を出さなかっただろうか。そう想定するのは難しい。恐らく米国が屈したと考え、第2、第3の9・11事件が発生したに違いない。
これが国際社会の現実で、それを直視するのがリアリズムだ。ジョセフ・ナイ氏(元国防次官補)によれば、国際政治はリアリズムと平和主義のせめぎ合いで揺れ動いてきた(『国際紛争 理論と歴史』有斐閣)。
北朝鮮の金正恩に対してはどうだろう。ミサイル発射や核実験を繰り返し、国際社会の非難の声にも聞く耳を持たない。平和主義か、それともリアリズムか。新聞論調も揺れ動いてきたが、楽観的平和主義はもはや通用しまい。
だが、朝日や毎日はこの期に及んでも腰が定まらない。10日付社説を見ると、朝日は「効果のある制裁決議を採択し、国際社会としての意思を明示すべき」とするが、肝心の「効果ある制裁」の中身には沈黙し、中国に「安保理での制裁強化に協力すべき」と相変わらず中国頼みだ。「日米韓も、この北朝鮮問題の悪化をどこかで食い止める方策を練らねばならない」とするが、そこで思考停止し、方策は提示しない。楽観的平和主義の極みである。
◆深刻な状況認識せず
毎日社説は「北朝鮮の核開発が1990年代初めに大きな問題となった時、米国は北朝鮮への武力攻撃を真剣に検討した。北朝鮮の技術水準が初歩的なものにすぎなかった当時よりも、現在の方がはるかに深刻な状況である。私たちは、それをきちんと認識しているだろうか」と問いかけている。
すわ、毎日が武力攻撃を持ち出したと、慌てて続きを読んだが、話はそれっきり。論調は朝日と同様、「日本は、米韓両国との連携を改めて固め、国際的な包囲網をさらに強固なものとすることに全力を傾けるべき」とするだけだ。これでは深刻な状況を認識しているとは言い難い。
一方、日経社説は「北朝鮮の体制を脅かすほどに強い制裁を」と言うので注目したが、「北朝鮮の後ろ盾である中国を動かし、いまよりも格段に重い制裁を発動するしかない」。これも中国頼みで「体制を脅かすほど強い制裁」は看板倒れだった。
こんなことでは、「暴力に対抗しないことが、さらなる暴力を生む」事態に陥りかねない。本紙10日付で元拓殖大学教授の吉原恒雄氏が敵基地攻撃能力の保有を促がしているように、具体論を示さないと責任言論とは言えない。
今回の核実験を受けて紙面に敵基地攻撃能力が登場したのは本紙が最初だったが、次いで産経11日付が「政府は平成25年12月決定の防衛計画の大綱に、敵基地攻撃能力保有の検討を盛り込んだが議論は進んでいない」と、防衛体制の脆弱性を指摘した。
◆読売の勇気ある提言
さらに読売は15日付社説で「敵基地攻撃能力も検討したい」と踏み込んだ。ミサイル防衛が重要としつつも、多数のミサイルで同時に攻撃された場合、すべて撃ち落とすことは困難だと指摘、「日本の安全確保には、自衛隊が敵基地攻撃能力を保持する選択肢を排除すべきではあるまい」とした。
その上で憲法上も敵基地攻撃は自衛措置として容認されているとし、「攻撃手段は、全地球測位システム(GPS)で目標に誘導する巡航ミサイルや、ステルス性を持つ戦闘機F35などが想定される」と、具体論を提示した。勇気ある提言で、これぞリアリズムだ。
かつてチェンバレン英首相はナチス・ドイツの拡張政策を黙認し、1938年にミュンヘン協定を締結したが、これをヒトラーは英国が大陸に干渉しないメッセージと受け取り戦争に突き進んだ。
これが平和主義の「破滅的な見当違い」(ジョセフ・ナイ氏)の代表例だ。この史実を朝毎は肝に銘じておくべきだ。
(増 記代司)