「小池新党」による第三極ブーム再来を「保守の拡大」と警戒する毎日

◆左翼との熾烈な戦い

 「拝啓 安倍晋三様 左ウィングを広げよ」。読売の橋本五郎・特別編集委員は安倍内閣の改造を受けて4日付の1面肩で、首相の政権運営についてこんな提言をしている。

 左ウィングというのは、今から30年前の86年7月の衆参同日選で中曽根首相は304議席を獲得、その勝因を従来の保守層だけでなく、ウィングを左に伸ばし中道右派の支持を得たからだとした。安倍首相もそれに倣って左ウィングを広げ、「右傾化」「右翼政権」といったイメージを払拭(ふっしょく)し、「野党まで包み込むような、ふくよかな政権」で改憲を―。

 なるほど橋本氏らしい優しい提言である。氏は読売の政治部長などを歴任し、テレビコメンテーターとしても知られる。読売に不定期で載る「五郎ワールド」は、歴史をひもとき、ときには地方に赴き、さまざまな問題に光を当てる。ゆったりと流れるような文章は、ひとつの「ワールド」で筆者も愛読する。

 が、「左ウィング」に手を広げた「ふくよかな政権」づくりには異を唱えさせていただく。中曽根時代の「左ウィング」は今の時代のそれとは趣を異にしていると考えるからだ。

 当時は東西冷戦、それも新冷戦と呼ばれた時代で、右には自民党、左にはマルクス主義を奉じる社会党の「55年体制」が敷かれていた。そんな中、中曽根首相は国鉄や電電公社、専売公社など公営企業体の民営化をもって、左ウィングを切り取った。

 それは民営化に猛反対する左翼労組との熾烈(しれつ)な戦いで、野党を包むような、ふくよかな話ではまるでなかった。中曽根政権は「右傾化」の批判も恐れず、背水の陣で86年のダブル選挙に臨んだ。その結果の304議席だった。

◆「強さ」を求める潮流

 むろん、橋本氏もその経緯は百も承知だろう。そもそも安倍首相に「右傾化」のレッテルを貼っているのは「左にいれば真ん中も右に見える」という旧態依然たる左翼の人々だ。そういう「左」にウィングを広げる意味があるのだろうか。

 これに対して毎日の与良正男・専門編集委員は、左ウィングとはせず、ずばり「『保守』のウイング」と呼び、「『戦う保守』が勝つ理由」を語っている(毎日3日付夕刊「熱血!与良政談」)。

 「戦う保守」とは都知事選で圧勝した元防衛相の小池百合子氏のことだ。与良氏は小池氏が幅広い都民の支持を得たのは、都議会との対決だけでなく当選後に連携を口にする「したたかさも含めて多くの人々は小池氏に『強さ』を感じ、『たった一人で組織と戦う姿』にひかれたのではないだろうか」とする。

 「戦うリーダー」を求めるのは世界の潮流で(これには与良氏は否定的だが)、増田寛也氏が訴えた「安定」や鳥越俊太郎氏がアピールした「人の話を聞く」は随分、ひ弱に映った。小池氏は当初から安倍首相を批判せず、改憲派という点では増田氏よりも首相に近いとし、「今回のもう一つのポイントは『保守』のウイングがさらに広がったことだ」と指摘し、さらにこう言う。

 「今後、ことあるたびに『すわ、小池新党か』と書き立てるメディアも出てきそうだが、憲法改正を目指す首相にとって、仮に党は別になっても『保守』の拡大は決してマイナスではない。野党が深刻に受け止めないといけないのはそこだ」

 それで「第三極ブーム」が起こった12年総選挙を思い出した。維新の党は1226万票(比例)という驚異的な数字をはじき出し、得票数では自民党に次ぐ第2党になった。みんなの党も524万票を獲得し、改憲派と位置付けられた「第三極」は自民党の1662万票を凌駕する1750万票を得た。

◆「戦う保守」の広がり

 「小池新党」がこの第三極ブームを再来させないか、「真ん中も右に見える」という立ち位置の与良氏には確かに脅威だろう。

 「戦う保守」がウィングを広げているなら、中曽根首相の左ウィングはこれに近い。「野党まで包み込むような、ふくよかな政権」は考えにくい。橋本氏はどんな絵を描いているのだろうか。

(増 記代司)