国際情勢を理解するため世界史を学ぶことの重要性を説く東洋経済
◆不可欠な歴史の知識
最近、「歴史」に興味を抱く女性が増えてきた。 いわゆる“歴女”と呼ばれている女性たちで、大河ドラマなどに触発されて実際に史跡を訪れて知識を増やしていくという歴史通である。もっとも、彼女たちの活動範囲は、大半が日本国内に限られており(中には西洋史、中国史にも関心のある歴女がいるというが)、ある意味でマイナーなグループといっていい。
しかしながら近年―とりわけ2001年以降―世界で起こる衝撃的な事件を目の当たりにして、人々の関心はおのずと世界に向かわざるを得ず、事件の本質は、それらの国々を取り巻く歴史的背景を理解せずして読み解くことができないという事態になっている。「グローバル経済の中で世界史を知らずしてビジネスはできない」とよくいわれるが、果たしてわれわれは世界の歴史や文化を果たしてどの程度理解しているだろうか。
そうした中で、経済誌は「歴史」に焦点を当てて特集を組んでいる。週刊東洋経済(8月13日・20日合併号)の「ビジネスマンのための世界史」がそれ。盆休み、夏休みの間に世界史を勉強してはどうか、という提案型の企画だ。現代社会を生きる日本人にとって今、「世界史を勉強する」という意義をしっかりと押さえるという意味では興味深い特集である。
「世界を困惑させた英国のEU(欧州連合)離脱と、米大統領選での共和党トランプ候補の選出。そして改善する気配すらない不安定な中東情勢と、対外的な強硬姿勢を強める中国…。世界は泥沼の暗黒状態に突入したように見える」と前置きした上で同号は、「いま起きていることの本質は何か。それを探るには歴史に立ち返るしかない。……21世紀、世界は相互に結び付きを深めている。混迷の現代を生きるビジネスマンには歴史の知識が不可欠になっている」と断言する。
◆“宗教音痴”の日本人
同号の特集は50ページを超える。それは三つのパートから成っている。そのうち、パート1で作家の佐藤優氏は、歴史を動かすエンジンとして「資本主義」「ナショナリズム」「宗教」の三つを挙げ、これらエンジンを理解することなしに歴史を総体的に理解することはできないと結論付けている。もっとも日本人は「宗教に無関心」といわれるほどの“宗教音痴”で、「宗教」の本質を理解するのは容易なことではない。それをフォローするかのようにパート3では丁寧にも世界を動かす三大宗教を紹介している。
同志社大学の小原克博教授は、「諸外国では政教分離原則を堅持しつつも公教育で宗教についての教育がなされるのに対し、なぜ戦後日本はそうしなかったのだろうか。それは戦前の過剰なまでの宗教教育に対するバックラッシュ(反動)として理解することができる。……とはいえ、グローバル時代において『宗教について何も知りません』では済まされない」と語り、さらに「相手が大切だと思っている(宗教的)価値観を少しでも理解し、それを尊ぶ気持ちや姿勢を示すだけで、良好な人間関係をスタートすることができるはずである」と語るが、まさにその通りであろう。もっとも、小原教授は日本基督教団の牧師の肩書を持つと記されているが、歴史をひもとくと他宗教(特にイスラム教)や異端に対して極悪非道の非人道的な所業を繰り返してきたのが西欧のキリスト教であったことも事実なのである。
◆戦いが憎しみを増幅
例えば、同号では、11世紀から13世紀にかけて起こった十字軍が、今なお現在のキリスト教対イスラム教の対立という構図で捉えられている、と指摘する。「十字軍というヨーロッパとイスラムの攻防には、長い歴史と記憶がある。記憶はしばしば現実と結びつき、対立と戦いを再生する。……しかし、必要なのは、双方が歴史を歴史としてひとまず切り離すことであろう」(山内進・一橋大学名誉教授)という。
十字軍とはローマ法皇の呼び掛けに応じて迫害されるキリスト教巡礼者を守り、キリスト教徒が聖地エルサレムを奪い返し支配するために行った遠征、聖戦とされているが、実際のところはビザンツ帝国がイスラム勢力(セルジューク朝)の脅威にさらされ、相互破門状態にあったローマ法皇ウルバヌス2世に援軍を要請したことによるもので、聖地奪還は単なるローマ法皇の戦いを鼓舞するための口実にすぎなかった。少なくとも当時、エルサレムがイスラム勢力下にあったとしてもキリスト教徒の聖地巡礼は認めていたのである。
戦いによる憎しみは憎しみを生み、対立はさらに増幅していく。「ひとまず切り離そうにも切り離せない」のも歴史なのである。歴史を知り、歴史を直視していくのも歴史を学ぶことの大切さでもあることを忘れてはならない。
(湯朝 肇)





