米大統領広島訪問の波紋

趙甲済氏が原爆を考察

 バラク・オバマ米大統領が広島を訪問する。人類歴史で初めて原爆を人に対して使った国の元首が被爆地を訪れるのだ。「核なき世界」を訴えてノーベル平和賞を受賞したオバマ氏なら必ずしなければならないことの一つだろう。

 オバマ氏の広島訪問について、米国は「謝罪」と受け取られることを強く警戒している。「原爆投下は戦争の犠牲者を抑え、早期に戦いを終結させるために必要だった」との“投下正当論”が強調されもしている。

 日本政府はオバマ氏の広島訪問実現のために、周到に慎重に準備を進めてきた。何よりも、訪問が「謝罪を求めるものではない」との考えを米側に伝え、米政府が訪問を躊躇(ちゅうちょ)するような“障害物”を取り除き、また、投下正当論の是非にも触れていない。

 言論界の一部には投下が必要だったのかとの議論もあるが、今はそれを蒸し返して、オバマ氏の広島訪問に水を差す雰囲気ではない。かつて戦った国の指導者が共に平和公園を訪れて犠牲者を慰霊するという歴史的画期的出来事を見守ろうという姿勢だ。

 ところが、これに強く反発している国がある。中国、韓国だ。「加害者の日本を犠牲者にしてしまう」と両国のメディアは反対している。その背景には彼らこそが“犠牲者”であって、日本からの謝罪が十分でないとの思いがあり、さらには、原爆投下は「当然の報いだ」といった考え方がある。日米が友好の絆を深めることへの“嫉妬”や警戒感も敷かれている。

 そうした感情論が支配的な中で、「原爆投下が必要だったのか」を冷静に見詰める論調もある。元月刊朝鮮編集長の趙甲済(チョガプチェ)氏だ。趙氏は現在、ネットメディア「趙甲済ドットコム」を主宰する保守派言論界の重鎮である。

 趙氏は5月16日付の「トルーマンが原爆を使わなかったなら?」という記事で、1996年、米ハーバード大学行政大学院のケネディスクールで「歴史からの推論」という特講を受けたことを紹介した。「大統領学の泰斗として知られたリチャード・ニュースタット、有名な戦史学者アーネスト・メイ、大統領府国家安保会議出身のフィリップ・ジェリコの3人の教授が教える人気科目で、受講生は約100人だった」という。

 そこで趙氏は「なぜ原爆は投下されたのか」というABCテレビのドキュメンタリー番組を見せられ、次の講義までの昼休み1時間で1㌻の論評を書かされた。

 ドキュメンタリーは「トルーマン大統領の原爆投下を批判的に扱ったもの」であり、「あえて原爆を使う必要はなかったという主張を多く紹介し、正統学説に異を唱える修正主義学者の見解を反映」したものだったという。

 番組は、▽日本は既に戦う余力がなかった▽降伏勧告する前の投下は正しかったのか▽多くの民間人を標的にしたことは正当か▽長崎に落とす必要はあったのか、等々の見解でまとめられていた。

 趙氏は、「トルーマンが原爆投下を決定したことの妥当性を今の見解で評価するのは危険だ。(番組のアンカーマンである)ピーター・ジェニングスは50年前の決定を道徳的に判断しようとしている。原爆を使わなくても日本は降伏したと判断し、原爆投下決定を批判するのはあまりにも現実感覚が足りない見解だ」と書いた。

 これだけを読めば、遡及(そきゅう)法で日本を批判する韓国人が言えることかと突っ込みたくもなるが、言っていることは正当だ。「事後にすべての事実が明らかになった状況、すなわち全知全能の神の視点で50年前の決定を判断する」のはフェアではない。

 当時、米国が「日本本土防御兵力に対する情勢分析」をどのようにしていたかを知れば、指導者として間違った判断はしていないと趙氏は主張する。本土決戦を決意し、沖縄戦で見せた玉砕、神風特攻隊、「生きて虜囚(りょしゅう)の辱(はずかしめ)を受けず」との戦陣訓などから見た日本軍と直接対戦すれば、「本土決戦での米軍の被害は100万人」と見積もることは臆病でもなんでもない。

 趙氏はトルーマンが日本上陸戦を敢行し多大の犠牲者が出たら、「その後にどんなことが起きたか」と考える。「暴動や大統領弾劾がなかっただろうか」と。天皇陛下の一言で戦闘を止める日本軍と日本人を当時、米国は知らなかった。

 編集委員 岩崎 哲