最高裁・違憲判決、裁判官罷免の在り方を再考せよ


 司法の判断に著しい疑念が生じた場合、国民はそれをどう是正できるのか、あるいは選挙で選ばれることのない裁判官に国民はどう臨めばよいのか、そんな疑問が広がっている。裁判官の罷免の在り方を含めて司法制度の再考が必要な時だ。

 婚外子判決は歴史的誤判

 先に最高裁は婚外子の遺産相続を嫡出子の2分の1と定めた民法の規定を違憲とする判断を下した。この判決をめぐって法律婚の意義を軽視し、正妻や嫡出子の人権を損なうばかりか、公序秩序違反行為(いわゆる不倫)の勧めにもなりかねないといった批判が噴出している。

 また「歴史的誤判」との指摘もある。判決が間違った事実認識に基づき、しかも高度な政治判断が必要な問題に政治責任を負わない司法が過度に介入したと見られるからだ。

 第一に、判決は婚姻や家族の形態、国民意識の「著しい変化」を挙げているが、そうした事実は見当たらない。出生する子供の約98%は法律婚での嫡出子で、婚外子は約2%にすぎない。

 また内閣府の世論調査でも「婚外子の相続分を同じにすべき」との回答は1996年の25%から2012年の25・8%へと横ばいで、現行制度維持の回答を下回り続けており、これにも著しい変化は見られない。

 第二に、現行法制度は選挙によって選ばれることのない司法部に高度な政治的判断をゆだねていない。一般的に高度な政治的決定は国民に対して政治責任を負う国会や内閣が担っており、違憲審査はあくまでも個別の争訟事件が提起されたときに、その紛争解決に必要な限り下されると解されてきた。

 わが国は欧州のような憲法裁判所を特別に設けていない。戦後憲法には米国型の法体系が導入され、争訟事件ごとに違憲審査を行う。また立法、行政の政治部門に認められる裁量権の範囲の決定についても違憲審査権は及ばないとされている。

 だから最高裁判決は「相続制度を定める際は、各国の伝統や社会事情、国民感情を考慮し、国民の意識を離れて定められない」とし、「どのように定めるかは立法府の合理的な裁量判断にゆだねられている」としたはずである。にもかかわらず民法規定を違憲としたのは司法の越権行為との疑問が生じる。

 婚外子判決はさまざまな疑念を国民に突き付けている。国民の間には最高裁判事を不信任したいといった声もある。だが、罷免は限定的だ。国会の弾劾裁判所における「公の弾劾」は裁判官の非行や職務違反に限られている。

 最高裁の裁判官は任命後初めて行われる総選挙の際、「国民審査」が行われるが、不信任の場合のみ×をつけ、その他は無記入で信任とされる。総選挙の影に隠れて、裁判官の人物像や履歴もあまり分からない。

 司法の越権を放置するな

 しかも一度、審査が行われると以後10年間も審査がない。これでは国民審査がなおざりになりかねない。この際、裁判官の「罷免」など司法制度の在り方を根本的に再考すべきだ。司法の越権と見られる判決を放置し続ければ、法治国家の土台が揺らぎかねない。

(11月29日付社説)