宜野湾市長選挙、「オール沖縄」神話の崩壊と「オール“コミンテルン”」の実在
2015年1月24日に投開票が行われた沖縄県の宜野湾市長選挙は、本来は宜野湾市民の福利厚生を争点にするはずだったが、志村恵一郎・翁長雄志陣営と各メディアにより、米海兵隊普天間基地の辺野古移設が争点となった。
結果は、安倍政権が支援する佐喜眞淳氏が当選。引き続き、宜野湾市長を続けることになった。獲得票数は、佐喜眞氏が2万7668票で志村氏が2万1811票と、約5000票の大差で、佐喜眞氏が勝利した。これは、宜野湾市民が「より現実的な普天間基地撤去案」を選んだ結果と言える。
沖縄メディアを含む多数派メディアや左派系野党は、「佐喜眞氏は争点隠しをした」と批判しているが、そもそも地方選挙で国家の安全保障と外交に関わることを争うものではない。外交問題は、日本国憲法には内閣の専権事項と規定されており、地方自治法にも次のように規定されている。
普通地方公共団体は、条例で普通地方公共団体に関する事件(法定受託事務に係るものにあつては、国の安全に関することその他の事由により議会の議決すべきものとすることが適当でないものとして政令で定めるものを除く)につき議会の議決すべきものを定めることができる。(地方自治法の条文より抜粋)
よって、国家の安全保障に関わる案件は、地方の選挙では争点にはそもそもならないのである。「佐喜眞氏は争点隠しをした」というのは、批判として的を射ていない。
だが、メディアと共産党を中心とする左派系野党陣営は、「辺野古新基地建設反対」をむりやり争点化した。とくに、琉球新報や沖縄タイムスは、インターネットの記事を読むだけでも、左派系野党に便乗しているのが分かる。これにより、事実上、「辺野古移設」の是非を問う宜野湾市長選挙になってしまった。
さて、佐喜眞市政が継続することになったが、選挙翌日の左派系新聞や左派系野党は、どういう反応だったのだろうか。まずは、全国紙の社説から検証しよう。
全国紙で、最も左派色の強い東京新聞は、宜野湾市長選挙について、「基地の閉鎖を願う民意の表れだが、名護市辺野古への県内『移設』が信任されたと考えるのは早計だ」「佐喜眞陣営は選挙戦で普天間飛行場の固定化回避には言及したものの、辺野古移設推進を直接訴えたわけではないからだ」と主張している。
次に、朝日新聞の社説。タイトルは、「宜野湾市長選『辺野古』容認と言えぬ」としており、「当選した佐喜眞淳市長は「普天間の一日も早い閉鎖・撤去」を主張しつつ、辺野古移設への賛否は明言せず、移設問題を争点化させない戦略をとった」と解説している。
毎日新聞は、タイトルは「宜野湾市長選 辺野古に直結はしない」で、「佐喜眞氏は普天間の移設先である『辺野古』の是非には一切言及しなかった」としている。
大手左派メディアの見解は、ほぼ同じであることがわかるだろう。
では、地元紙の琉球新報と沖縄タイムスはどうか。
琉球新報は、「佐喜眞氏再選 新基地容認ではない 国に『5年以内』閉鎖責任」とのタイトルを掲げ、「佐喜眞氏は選挙戦で辺野古移設の賛否を明言せず」と分析。沖縄タイムスも、「辺野古外しが奏功した」とのタイトルの社説で、これまた大手左派系メディアと同様の見解になっている。
中央政界の左派系野党の反応はどうか。志村・翁長陣営を支援した日本共産党は、「相手陣営は、辺野古『移設』に一言も触れなかった。したがって、辺野古『移設』賛成の民意が示されたとはいえない」との見解である。山下芳生書記局長の発言である。
維新の党の松野代表も、「今回の勝利は政府による移設の争点化回避策が功を奏したというべきで、沖縄の民意が辺野古移設を認めたことを必ずしも意味しない」との見解を表明している。民主党も、社民党も似たような見解である。
よって、導き出されるのは、日本共産党の見解に、左派系大手メディアならびに沖縄メディア、左派系野党は足並みをそろえていると分かる。「オール沖縄」というのはただの幻想にすぎず、実態は「オール“コミンテルン”」である。ここまで、左派・共産主義勢力が足並みをそろえるのは、異常としか言えない。沖縄に触手を伸ばそうとしてる彼の国の“スパイ”ではないかと勘ぐってしまうほどだ。
私見であるが、沖縄には「辺野古移設反対」という同調圧力があり、言論の自由と民主主義が事実上存在しない。しかし、今回の宜野湾市長選挙で、沖縄の同調圧力に風穴をあけた。宜野湾市長選挙は、ただの地方選挙ではなく、沖縄の言論の自由と民主主義を取り戻す戦いだったと考える。