ゼロ金利政策の副作用 軽視できぬ消費者の負担


景況に響くコスト高

 5月から1㌦が120円台に乗せた。円の対外レートが、ドルに対してもユーロに対しても、軟調のまま推移している。今後の推移は予測できないが、こんな円安を引き起こした要因の主たるものは、いうまでもなく日銀のゼロ金利政策以外にあり得ない。ゼロ金利政策の推進で円の対ドル相場が“次第安”になり、おかげで輸出が伸び、輸出産業とその周辺部門を中心に明るさが広がってきたことは疑いない。雇用情勢もよくなってきている。海外からの訪日客でにぎわう分野にとっても、もちろん大歓迎に違いない。

 だが、いいことずくめではない。日本は有力な輸出大国であると同時に輸入大国でもある。封鎖経済は成り立たず、物的資源や食糧などの輸入依存度は極めて高い。円の対外レートの軟調な推移は、当然のことに、食糧品を含む輸入部門とその関連部門のコスト高に直結する。「円安歓迎」というわけにはいかない。

 輸出産業部門を中心に、企業収益は目立って伸びたものが多く、春の賃上げでもその好影響を受けた事例は確かに少なくない。しかし、それは“楯の半面”だろう。食糧品などの輸入部門はコスト高を免れず、それに伴って多かれ少なかれ買い手=最終的には一般消費者の負担に転嫁せざるを得ぬ。すなわち、そこでは、昨年4月の消費税の税率引き上げと同じ消費抑制圧力になる。低所得層にとって、容易なことではない。日本全体の景況にも、マイナスに響く。

 円の対外レートの低落とその後の軟調な動きの背後にあるのは、改めていうまでもなくゼロ金利政策の長期化である。日本の景況に明るさが戻り始めた(全部門に及んでのことではないが)のは、つい最近のこと。“失われた20年”の表現が示すように、日本経済は長い低迷状態にあった。株価水準も低かった。最近になって、部分的ながら生気が戻り始めたかにみえるのは疑いないし、株式市場も復調は明らかで“戻り高値”の更新へ動いている。そして、それには相応の歳月の経過それ自身に加えての日銀のゼロ金利政策がそれ相応の役割を果たしてきたことを認めてかかるべきではあろう。

 そうは言いながら、年率2%程度のインフレを目指すことも、そのためにゼロ金利政策を続けることも、一国の中央銀行の金融政策としては、あくまで邪道でしかあり得ない。しかも、輸入コスト上昇の副作用をも伴わずにはおかぬ。戦中戦後期の諸物資欠乏の時代とは違い経済力も経済基盤も極めて強いから、ゼロ金利政策が長期に及んでも大インフレの引き金になる心配はまずないが、例えば大災害がこの国を襲ったような場合には、ゼロ金利政策の“とがめ”が一気に表面化することにならぬとの保障はあるまい。

 それは仮定のことにとどまるが、現実には輸入コスト増大の副作用を軽視しかねる。円の対外レートの“じり貧”でなく、“ゆるやか”に、行き過ぎた円安の修正を目指すべきではないか。

財務省への側面援助

 ゼロ金利政策路線を走る日銀の今日の在りようは、財政再建を重くみる財務省への側面援助の性格を、まぎれもなく強く帯びている。それはそれで悪いことではないだろう。ただし、それが行きすぎているきらいが強い。結果としての日銀による“日本たたき売り”には疑問がある。

 筆者自身の個人判断としては、1㌦90円台半ばから100円と110円の間ぐらいがいいのではないかと推測するが、仮にその水準への復帰を急ぐとすれば、ドル圏投資家の日本株売り急ぎを誘発する心配が小さくない。これはこれで、容易ならざる事態である。ゼロ金利政策自体の意義を、筆者は否定しない。が、それが節度に欠けている。日銀の自重を望みたいと考える。