沖縄地元紙や翁長知事が隠す「県民自ら差し出した」米軍基地の存在

◆無駄だった知事訪米

 沖縄県の翁長雄志(おながたけし)知事がさきほど訪米したが、米軍普天間飛行場の「辺野古移設」反対の主張は一蹴され、何ら成果なく帰国した。

 いずれの国も安全保障は国の専権事項だから分かりきった「訪米大失敗」(コラムニスト、江崎孝氏=本紙5日付「沖縄時評」)だった。血税の無駄遣いと言うほかあるまい。東京5日付社説は「沖縄知事訪米 辺野古阻止への一歩に」と翁長知事を持ち上げるが、何ら説得力はない。

 翁長知事は移設反対が「民意」で、「県民自ら差し出した基地は一つもない」と言った。新聞も紋切り型に「地元は移設反対」「押し付けられた米軍基地」と報じる。5月に3万5000人(主催者発表)が結集したという辺野古移設反対集会の決議文にも「沖縄県民は自ら基地を提供したことは一度もない」とある(琉球新報5月18日付)。

 だが、これこそ沖縄をめぐる左翼陣営の嘘(うそ)八百の一つだ。ネットのフリー百科事典「ウィキペディア」で、「久志村(くしそん)」を検索してもらえれば、誰にでも嘘は知れる。久志村は辺野古とその周辺地域の旧村のことで、1970年に名護町などと合併し、現在の名護市となった。ウィキペディアは次のように記す。

 ―1956年(昭和31年)久志村村長(当時)の比嘉敬浩が「村興しのために米軍基地を誘致したい」と発言したが、当時沖縄県内では、米軍接収軍用地の地代支払い方法をめぐって反基地運動が高揚していたため、米国民政府は基地誘致の陳情に即答を避けた。しかし村の再三にわたる陳情と、そのたびに久志村議会議員の署名を携えてきたため、レムニッツァー民政官は応諾、在沖米四軍全員に照会したところ、陸海軍はこれ以上の基地増設は不要と答え、残った海兵隊が訓練場増設の必要性からこの誘致に応じた―

 それが辺野古にあるキャンプ・シュワブにほかならない。村長、村議会が一丸となって海兵隊基地を誘致したのだ。それで同基地の司令官は地元自治会・辺野古区の第11班の班長をつとめ、海兵隊員は班員として運動会や清掃行事にも参加し、地元に貢献している。今や「良き隣人」を超えて、区民そのものだ。

◆懇談を黙殺する朝毎

 辺野古区は移設に反対したことは一度もない。それどころか、住民への永代補償や道路整備など街づくり推進を条件に賛成している。こうした事実を地元紙、琉球新報と沖縄タイムスはほとんど報じない。「反対は県民総意」「地元は反対」といったレッテル貼りに都合が悪いからだろう。

 ところが、その地元と国とが移設推進の「条件」をめぐって5月30日、初めて懇談会を開いた。国からは防衛省地方協力局長や沖縄防衛局長、内閣官房内閣審議官らが出席、地元からは辺野古区とその周辺の豊原、久志(久辺3区=旧久志村)の3区長が参加した。

 読売によれば、懇談会では辺野古区の嘉陽(かよう)宗克(むねかつ)区長が「懇談会の設置は大きな前進だ。住民の不安除去や生活向上を見える形で進めてほしい」と要望し、井上一徳・沖縄防衛局長が「可能なものから速やかに実現するよう取り組む」と応じた(31日付)。

 これこそ真の「地元の民意」ではないか。だが、「民意」を盾に移設反対を叫ぶ左翼メディアはまともに報じようとしない。例えば、先の移設反対集会を「沖縄の怒り 無関心ではすまされぬ」と威勢よく社説(5月20日付)で書いた毎日は「無関心」を決め込み、朝日に至っては黙殺だ。

◆地元紙など世論操作

 地元紙はさすがに無視できなかったと見え、沖縄タイムスと琉球新報は31日付で報じた。が、扱いは歪(いびつ)だ。地元民意を強調するなら1面トップがふさわしいが、タイムスはうっかりすると見落とす2面下段に「政府、久辺3区と懇談 辺野古 地元企業受注拡充を提案」と、移設問題とは関係のないような扱いだ。

 新報は3面トップに「国に個別補償再要求 地域振興で初会合」と報じたが、これも移設推進の条件を話し合う会合とは皆目わからない。記事の横には「なりふり構わぬ政府」との解説を大きく載せ、地元の民意よりも政府批判にうつつを抜かしている。

 これが左翼メディアと地元紙の「世論操作」の実態だ。

(増 記代司)