高浜原発再稼働差し止め仮処分の福井地裁判事の信条を暴く産経抄
◆誤認と人格権で判決
飲酒運転の車に突っ込まれた人が相手の運転手ではなく、自分の車の製造会社を「頑丈に造らなかった」と訴え、1300億円の賠償命令の判決。47年間たばこを吸い続けて肺がんになった男性がたばこ会社を訴え31億円を勝ち取った――。
産経抄が『へんな判決』(のり・たまみ著)からこんな話を紹介している(16日付)。いずれも米国の判決だが、福井地裁(樋口英明裁判長)による関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を認めない仮処分決定も「へんな判決」だというのだ。
なにせ決定は、福島第1原発事故の教訓をもとに積み上げられてきた科学的議論そのものを否定し、原子力規制委員会の新しい規制基準を「合理性を欠く」と切り捨て、この世では考えにくい「ゼロリスク」の安全を要求している。
関電によれば、決定は全電源喪失から炉心損傷まで「5時間余」としたが、「約18~19日」の誤り。「外部電源が断たれて給水設備が破損し、炉心損傷の危険」というのも、非常用電源や補助給水ポンプで電源供給や給水が可能。こんな事実誤認が4点もある(読売18日付)。
各紙社説を見ると、読売は「不合理判断」、日経は「疑問多い」(いずれも15日付)と批判し、産経は「迅速に決定を覆すべきだ」(16日付)、本紙は「再稼動に向けて準備進めよ」(18日付)と促す。一方、反原発派の朝日は「司法の警告に耳を傾けよ」、毎日は「司法が発した重い警告」(いずれも15日付)と、手放しで歓迎している。
産経抄は決定を「脱原発の政治的信条に基づいた、『確信犯』的な判断」と断じている。樋口裁判長が昨年5月にも大飯原発の運転差し止め判決を下しているからだ。その根拠は憲法13条が保障する「人格権」というもので、イデオロギー臭がぷんぷんとする。
◆確信犯の左翼法律家
確信犯とは――。思い出すのは自衛隊違憲判決を初めて下した福島重雄裁判長だ(「長沼ナイキ基地訴訟」札幌地裁=1973年)。この人は憲法前文にいう「平和のうちに生存する権利」(平和的生存権)を持ち出した。今回の「人格権」と一脈通じている。
福島氏は青法協(青年法律家協会)裁判官部会の幹部だった。青法協は54年、再軍備論争を契機に左翼法律家を中心に組織された団体で、いわゆる共産党系だ。最盛期には会員2500人、裁判官も300人以上加わっていた。
その裁判長による自衛隊違憲判決で、青法協は「北海道の平和を守る運動の中で、青法協がいかに大きな役割を果たしてきたかを再確認させるものであった」(機関紙『青年法律家』87年6月25日号)と自賛している(世界日報社刊『病める日弁連』参照)。
過激派の裁判官もいた。仙台地裁の寺西和史という判事補がそうで97年10月、朝日に組織的犯罪対策法案を批判する投書を出し、98年4月には法案反対の極左過激派の集会に参加し戒告処分を受けた。
現在、この種の裁判官が何人いるのか、巧妙に“潜入”しており定かでない。もとより樋口裁判長がどうかは知らないが、大飯と高浜をめぐる判決を見る限り、初めに反原発ありき、の「確信犯」と見て、まず間違いない。良心に従った判決と言う人もいるが、それはちょっと違う。
憲法には「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職務を行い、この憲法と法律にのみ拘束される」(76条3項)とあるが、ここでいう良心は憲法19条の良心(思想及び良心の自由は、これを侵してはならない)とは異なる。裁判官の良心は個人としての主観的な思想や信念を意味するのではなく、裁判官としての職務を公平無私に行う心、つまり裁判官としての持つべき客観的良心のことをいう。
◆変な判決褒める朝日
では、新聞人はどうか。もちろん言論は自由だが、新聞倫理綱領が指摘するように「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」。それは「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である」とするからだ。それを前提に「論評は世におもねらず、所信を貫くべきである」。
正確かつ公平、真実の追究。それが新聞人の良心だ。「へんな判決」を褒める「へんな記事」は良心に反している。
(増 記代司)