IDの視点、日本にも必要 道徳破壊した進化論
進化論vsID理論 20年戦争 (13)
前述したように、数学者ウィリアム・デムスキー博士らの理論展開によって、遺伝情報がデザインされている、つまり“書かれている”と推定できること自体がインテリジェント・デザイン(ID)理論を圧倒的に優位にしているが、もっと直観的によく分かる例がある。
2007年のある研究論文によると、40もの人間の遺伝子がオーバーラップ(重複)したコード領域を持っている可能性があることが分かり、研究者らは「偶然ではほぼ不可能」と結論づけているのである。これは平たく言えば、「シンブンショウリャク」に「シンブン」「ブンショウ」「ショウリャク」、さらには「シンリャク」が含まれるのと似ている(遺伝子は「シンリャク」のように間を置いて“書かれている”場合が多い)。ライフサイエンスの発展はID理論に追い風になっている。
日本での問題は、米国ではID派科学者による厳密な反論が提起され、ダーウィン進化論者とも公開討論がなされているのに対して、ダーウィン進化論を一方的に啓蒙・宣伝する傾向が科学・教育界、メディアなどで続いていることである。証拠に照らして問題の多い科学理論を教え続け、深く考えさせないようにしていることが問題である。鵜呑みにさせるだけの教育では科学は発展しない。
しかし、ダーウィン進化論をはじめとする唯物論科学が文明にもたらしている影響はもっと深刻だ。渡辺久義京大名誉教授が筆者との共著『ダーウィニズム150年の偽装』の第1部で強調しているように、ダーウィン進化論は、優生学に根拠を与えることによって、ナチスによる大虐殺を正当化したほどの「諸悪の根源」であり、現代では特に地球規模の道徳衰退の根源にあるからだ。
世界的な小児神経外科医ベン・カーソン氏もかつてこう述べている。
「ダーウィン進化論を受け入れれば、倫理を軽視し、道徳的価値に従う必要がなくなる。自分がしたいことに基づいて自分自身の心を決定すればいいのだ」
人間がただ「偶然の産物」にすぎないのなら、人間の存在と生き方に意味や方向づけるものは何もない。ダーウィン進化論は科学の名の下に道徳を破壊しているのである。
これに対して、ID理論の魅力は「人間はどこから来たのか」という根源的問いへのヒントを与えてくれることだ。ID理論に基づけば、知的存在が段階的に宇宙、太陽・地球・月などを創り、地球上に最初の生命を誕生させた後、段階的に生物を高度化させ、最後にわれわれ人間を登場させた。これは聖書などの知識がなくても、科学的事実から合理的に導き出すことができるのである。
この知的存在を「神」と呼ぶか、「宇宙の叡智」などと呼ぶかは個人に任せられるが、「私」の根源が宇宙の創造者だということを悟るようになれば、「私」という存在の価値、生きる意味を真剣に考えざるを得なくなるはずである。
現代日本は道徳衰退が著しく、いじめ自殺などの痛ましい事件が後を絶たない。現状のままなら、もっと多くの純粋な青少年が傷つき犠牲になっていくだろう。この「心の危機」克服のために、ID理論による挑戦は示唆に富む内容を多く含んでいる。
(編集委員・原田 正)
(終わり)