議論が起きる余地なし 強固な日本の進化論体制

進化論vsID理論 20年戦争 (12)

500 日本でのダーウィン支配体制は非常に強く、論争が起きる余地さえ与えない。

 そんな日本の空気を象徴するのは、昨年3月8日付日経夕刊の「あすへの話題」というコラムで、和田昭允・東京大学名誉教授が「生命の創造主」というタイトルで書いている記事だ。

 和田氏はDNAの塩基配列の自動解析で有名だが、コラム冒頭からID理論に否定的な考えを表明。そのうえで、麻雀では牌の交換、トランプでは手札の交換を繰り返すことによって、目的の形がそろっていくのと同様に、新しい生命に不可欠な新しい遺伝子も文字が少しずつ入れ替わっていく「突然変異」と「自然選択」によってできあがるという趣旨のことを述べている。

 DNAはA、T、G、Cの4文字による長い紐で、遺伝子はその一部。3文字のセットでアミノ酸1個を指定し、タンパク質のアミノ酸配列を表している。

 和田氏ら進化論者の主張は、A、T、G、Cがランダムに意味もなく並んでいるDNAの配列からスタートし、世代交代のときに突然変異が起きて文字が偶然に入れ替わるというやり方で、機能する配列つまり遺伝子に到達し得るということなのだ(下図参照)。

 しかし、何か機能する配列ができて自然選択されるまでは、ただ盲目的に変化していくことになる。都合のいい一つの置換が起きたとしても再び元に戻ったり、別の文字に置き換わる可能性があるのである。この偶然のシナリオがきわめて難しいことは少し考えれば誰にも分かるであろう。

 皮肉にも、和田氏が例に引いた麻雀の牌やトランプの手札の交換は「偶然のプロセス」ではなく「導かれたプロセス」そのものだ。牌、手札を交換する時には、思考をめぐらしてベストと思われる選択をする。つまり、段階ごとの思考から生まれた情報に基づいて交換し、最終的に目的のカタチに到達するからだ。

 遺伝子やタンパク質のような意味のある配列(情報)は、こうした「導かれたプロセス」によってしか生まれないことをわれわれは、経験的に知っているのである。文章やコンピューター・ソフトウエア作成もそのよい例であろう。

 実は和田氏のような考え方は、以前から英国のリチャード・ドーキンズが述べていることである。これに対してはすでにウィリアム・デムスキー博士らが圧倒的に厳密な反論を行っている。

 150個のアミノ酸が並んだ標準的な大きさのタンパク質でも、それが偶然にできる確率は10の74乗分の1。10の74乗は銀河系の全原子数より多い。10の74乗通りのどの場合でもいいわけではなく、この中の特定の配列でなければならないのだから、偶然のプロセスで到達することがどれほど難しいだろうか。実は「宇宙の歴史137億年をかけても実現不可能」(マイヤー博士)なのである。

 むしろ、タンパク質は無数に可能性のあるものの中の一つが意味を持つという特定された複雑性の特徴、つまり、“デザインの痕跡”を示す。よって、タンパク質も、それを指定した遺伝子もデザインされたものと合理的に推定できるのである。

(編集委員・原田 正)