ミャンマーで軍と武装少数民族の衝突拡大
半月で140人以上が死亡
ミャンマー北東部シャン州コーカン地区で、2月9日に始まった国軍と少数民族コーカン族の武装勢力「ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)」との戦闘が拡大、半月で少なくとも約140人の死者を出した。今秋に迎える総選挙を前にミャンマー政府は、全少数民族武装勢力と和平交渉を進め全国停戦協定を目指しているが、逆にこれが反政府少数民族の強硬派をあぶり出す事態になっている。この軋轢(あつれき)が果たして少数民族武装勢力が政府に反旗を翻す最後のものとなるのか、嵐を予告する一陣の風であるのか予断を許さない状況が続く。(池永達夫、写真も)
中国人傭兵も戦闘に参加?
戦闘の引き金となったのは、ミャンマー国軍に奪われたコーカン地区の実効支配権をMNDAAが、取り返そうとしたことから始まった。MNDAAの兵士は2000人規模とされる。政権側の発表によると、国軍側で62人、MNDAA側で81人が死亡したという。 またこの戦闘で住民約10万人規模が国境を越えて中国に難民となったり、近くの都市ラッショーに避難したりしている。
政府は2月17日、同地区に非常事態を宣言、戒厳令を敷いた。これは2011年の民政移管後初めての戒厳令となる。
テイン・セイン大統領は、パンロン協定記念日の12日までに16の少数民族武装勢力との全国停戦協定締結を目指してきた。パンロン協定とは「建国の父」アウン・サン将軍が1947年2月12日に少数民族に自治権を与えることを約束した協定だ。
政権側がレッドラインを引いてまで交渉を急ぐのは、10月末にも予定されている総選挙に全国民が参加することで新政権の正統性を世界にアピールするとともに、年末の東南アジア諸国連合(ASEAN)経済共同体発足を控えて民主国家ミャンマーを喧伝(けんでん)したい意向がある。
だが、その歴史的記念日をあざ笑うかのような国軍と少数民族武装勢力との衝突だった。
現地メディアによると、昨年来、停戦交渉に参加しておらず最大武装勢力を誇るカチン独立軍(KIA)の支援をMNDAAは受け、パラウン族のタアーン民族解放軍(TNLA)や西部のラカイン族武装勢力などとも協力関係にあると分析している。また国軍側は中国人傭兵(ようへい)がこの戦闘に加わっているとも言明している。中国雲南省国境に隣接するコーカン族支配地域では、ヘロインや人身売買などの闇ビジネスで中国人とのつながりが深いとされ、こうした資金で中国人傭兵を使っているというのだ。
少数民族武装勢力との和平交渉がすんなりいかないのは、武装勢力を国軍兵士として認めたくない国軍や少数民族の自治権をめぐる駆け引きなどいろいろな問題が絡み付いている事情があるが、これらの地域に眠るヒスイやチーク材、金、銅、ウラン鉱などの資源をめぐる所有権問題がさらに交渉を難しくさせている現実がある。これらの資源は少数民族の反政府武装勢力を保持する資金源になっているだけでなく隣国中国雲南省の人々の懐をも潤す役割を担っているからだ。
ミャンマー政府と少数民族勢力との対立の歴史は長く、同国が英国から独立した1948年にまでさかのぼる。独立後に成立したビルマ族主体の政府に、カレン族が反発した。英国は植民地時代、少数民族のカレン族などを官吏に登用しビルマを支配した経緯があった。さらに62年にネー・ウイン氏が率いる軍がクーデターで政権を掌握して以降、他の少数民族勢力との軋轢も増し内戦状態が拡大した。
しかし、88年の民主化運動を力で抑え込んだネー・ウイン氏が辞任したことで軍は方針転換して、少数民族勢力との停戦交渉に乗り出す。少数民族勢力は人口の約6%に当たる約300万人といわれる。