災害時の軍の救援支援するODA大綱の趣旨を解さぬ朝日「素粒子」

◆軍=悪玉の決めつけ

 イスラム教の預言者ムハンマドの風刺漫画はイスラム教徒の心を傷つけたとして物議を醸しているが、朝日の夕刊、題字下の社会風刺コラム「素粒子」にも傷つけられた人は少なからずいる。

 かつて鳩山邦夫法相が死刑囚の刑執行を法に則(のっと)って命じた際、「死に神」と書き立て(2008年6月18日付)、全国犯罪被害者の会に「犯罪被害者遺族の感情を逆撫でされる苦痛を受けた」と非難されたことがある。

 最近はどうか。12日付にはこうある。

 「情けは人のためならず。とはいえ、なりふり構わぬ国益重視の援助。中国の露骨をそしりつつ中国のまねをする」(12日付)  安倍内閣が閣議決定した「開発協力大綱」のことだが、あまりにも事実に反していて驚かされる。新大綱は従来の政府開発援助(ODA)大綱に代わるもので、「国益確保」を明記し、他国軍の支援も行う。と言っても読売が「軍の災害救助も支援」、日経が「災害復興など他国軍支援」(いずれも10日付夕刊)と報じるように災害救援や民生目的など非軍事に限ってのことだ。なりふりは大いに構っている。

 いずれの国でも大災害の際、軍は救援や復興に重要な役割を担う。東日本大震災での自衛隊の活動や在日米軍の「トモダチ作戦」を見れば、一目瞭然だ。インドネシアの大津波やフィリピンの巨大台風でも、軍が道路や港湾などのインフラ復旧に当たった。

 ところが、現行のODAの枠組みではこうした軍の活動を支援できない。軍だからといって何がなんでも拒絶すれば国際貢献ができず、孤立主義に陥る。ODA対象から外してきたほうが異常だ。それを「なりふり構わず」と批判するのは、軍=悪論に立つエセ平和主義だ。

◆中国と対極の新大綱

 素粒子は新大綱を「中国のまね」とも言う。だが、これも事実から懸け離れている。例えば中国はインド洋の沿岸諸国の港湾建設を支援するが、それは「真珠の首飾り戦略」と呼ぶ海軍の拠点を築くためのものだ。そんな軍事的覇権をわが国は真似ていない。

 そもそも新大綱が言う戦略性とは「(途上国の)発展の前提となる基盤を強化する観点から、自由、民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった普遍的価値の共有や平和で安定し、安全な社会の実現のための支援をおこなう」(新大綱の要旨=日経11日付)というものだ。

 その意味で新大綱は共産中国のそれとは対極にある。いったいどこが「中国のまね」なのか。いくら社会風刺でもこうなれば、日本外交に対する冒涜(ぼうとく)と言うほかない。

 いかがわしいのはこれだけではない。同日付の素粒子にはこんな記述もある。

 「巨大なコンクリートでサンゴをつぶす。抗議は力で押しのける。それも国益? ただその『国』に沖縄は含まれず」  これは米軍普天間飛行場の辺野古移設工事を取り上げたものだ。サンゴをつぶすと言うけれども、沖縄は全国有数の「埋め立て県」で、これまで辺野古の何十倍も埋め立ててきた。その広さは全国の国土面積増加分の4分の1を占めるとされるほどだ。そっちのほうは問題にせず、辺野古だけを「サンゴをつぶす」と叫ぶのはエセ環境保護だ。

 抗議は力で押しのけると言うのにも首を傾げる。反対派が辺野古の作業海域にカヌーなどで接近し、海上保安庁によって実力阻止されたことを指すようだが、抗議行動は「当たり屋」のそれで、自分の方から力で押しのけられるように仕向けている。問題にする次元の話ではない。

◆危険性除去を語らず

 朝日は(沖縄の地元紙もそうだが)、住宅街が迫る普天間飛行場の危険性を除去しようとする移設問題の原点を語ろうとしない。わが国(むろん沖縄を含む)と東アジアの安全を確固たるものにするためにも必要なばかりか、普天間の跡地利用や辺野古の代替施設建設で両地域の経済発展も期す。これこそ県民益であり、国益だ。それをまるで沖縄を害するかのように書く。

 朝日が素粒子を夕刊の題字下に後生大事に続けているところを見ると、どうやら看板コラムのようだが、事実無根の羅列は風刺にも洒落にもならない。朝日の品格を貶(おとし)めるだけだ。

(増 記代司)