沖縄県民は日本民族 「琉球処分」の再考
一般財団法人・沖縄公共政策研究所主任研究員、学術博士 玉城有一朗氏に聞く(下)
「琉球処分」の間違った解釈が、「日本人」は「沖縄人」を「差別」しているという「構造的差別」論にまで発展してきた。最近では「琉球民族」や「沖縄独立」「民族の自決権」など沖縄県にとって根拠の乏しい言葉が県内のマスコミをにぎわせている。「琉球民族」とは、「沖縄のアイデンティティー」とは何を意味するのか、前回に続いて沖縄県民のルーツなどを玉城有一朗氏に聞いた。(聞き手=竹林春夫沖縄支局長)
血統、言語、文化で日本人 「琉球民族」や「琉球先住民」は虚構
「独立」に歴史的根拠なし あいまいな言葉が独り歩き
――沖縄県選出の糸数慶子参院議員は昨年、国連の人種差別撤廃委員会や先住民族国際会議に琉球先住民代表として参加、発言した。
「民族」という言葉を定義する要素は、①血統②言語③文化的共通性である。
血統では、琉球の人々は縄文人と同じDNAを持っていることが自然科学の分野で解明されている。近畿地方を中心に石垣、与那国、波照間(はてるま)に行くほど縄文人に共通するDNAの検出率が高いという研究成果がある。また、昨年、琉球大学の研究チームは血統的に日本人であるということを解明、英国で発行された国際学術雑誌に掲載された。これらの科学研究によると、血統を見ても、琉球人を含め、沖縄の人々は日本人である事実が証明されたと言える。「琉球民族」という概念の根拠のひとつは成り立たない。
言葉については、琉球方言は日本語の祖語であると、言語学的に証明されている。基本語彙(ごい)は万葉の語彙と共通するものが見られ、琉球方言の文法体系は日本語そのもの。沖縄では現在、「琉球語」や「しまくとぅば」という呼称の普及が図られているが、学術的根拠に乏しい、イデオロギーの普及ではないだろうか。
ここで、心理学者の東江平之(あがりえなりゆき)氏が1990年に発表した考察を紹介したい。「琉球方言の衰微は、多くの人に言い表しようのない淋しさを覚えさせているであろう。しかし、百十年前〔琉球処分当時―註玉城〕、教育の手段として日本語が選ばれていなかったとしたらどうなったであろうか。今日、沖縄の人々が、日本語によって学び、科学や文学の分野で盛んな創造的活動を見せているのを見ると、日本語を取り入れてきたことが、果たして間違っていたのかどうか、と考える今日この頃である。」(東江平之『沖縄人の意識構造』沖縄タイムス社、1991年)
琉球の伝統は、血統、言語、そして文化のいずれを見ても、本質は日本人、日本語そして日本文化に根ざしている。沖縄県民は日本民族であり、琉球民族や琉球先住民といった虚構の存在などではありえない、と私は学問的見地から確信している。
――2013年5月に琉球民族独立総合研究学会が設立され、琉球独立の動きが加速している。しかも、学会の会員資格は「琉球民族」と限定している。
「琉球民族」の独立を達成するために必要なあらゆる方法を解明するために学会を立ち上げたという立場を取っている。琉球が独立すべきだという根拠は歴史的に見て見いだすことはできないのではないか。推測だが、琉球独立の提唱者たちは、明治12年以前、琉球藩以前は「琉球国は独立国」だと仮定して、議論を盛んにしている。
学会の会員資格は「琉球民族」に限定するとのことだが、これは生物学的にも、生活文化的にも「琉球」という純血が発見されることを望む期待だとも読める。この傾向は第三帝国の「選民思想」に重なり、退化した思想の表れだが、一歩間違うと、世論や社会をミスリードする危険性もはらんでいるのではないだろうか。
少なくとも、学術研究として、科学的に「琉球民族」の実在を検証した報告は、いまだ発表されていない。科学的な検証方法によって実在が確かめられない民族を前提に、目的実現に合致した研究活動を行う学会は、信仰・信教として自由に活動することはありえるが、反証や検証可能性に基づく学問の自由を享受することはありえない、と私は考えている。
――基地問題で「構造的差別」という言葉が使われるようになった。翁長雄志(おながたけし)知事はこれを利用しながら「オール沖縄」という言葉を使っている。翁長氏の言う「沖縄のアイデンティティー」が意味するものは。
翁長知事が就任して開催された昨年12月の臨時県議会で「イデオロギーよりアイデンティティーとは何か?」と何度も質問され、概念の説明を求められたが、知事は一度も明確な回答を示さず、情感に訴える答弁に終始した。
自民党沖縄県連の照屋守之幹事長が、「オール沖縄はオスプレイ配備反対で保革を超えて一致するということで使われていたが、知事選では辺野古移設反対にすり替わったのではないか」という趣旨の質問を行ったが、知事は明確な答弁を避けていた。
「翁長知事の真意を測りかねている」というのが、今のところ、私の正直な感想だ。
先に言及した「琉球処分」にしても、いま問われている「沖縄のアイデンティティ」にしても、県民世論や県民一人一人の生活感覚、深層意識に訴えるスローガンに近い使われ方がされているように感じる。厳密な言葉よりは、感情に響くあいまいな言葉が独り歩きしている印象をもってしまう。
――第1次世界大戦の戦後処理の影響で、東欧や中東では、少数民族どうしの対立があり、民族ナショナリズムが台頭した。昨今の「沖縄ナショナリズム」論と何らかの関係があると考えるか。
歴史的に見ると、東欧や中東の民族対立とは事情も背景も違う。バルカン半島を中心に少数民族の自決権と民族単位の国民国家樹立を提唱し、中東の遊牧民族・部族の移動と定住のサイクルを無視した人為的な国境設定は、今日につながる民族対立や宗教対立の根本的原因になっている事例が数多い。
一方、近代日本の国境画定は、古代から近世にかけて展開した、国のあゆみと地域間交流を踏まえて行われた。北は樺太まで、南は琉球国までと定めることで、明治維新政府は日本の国体としての律令(りつりょう)国家と徳川幕府の構築した行政・統治機構の基本を継承している。こうした制度的経緯を説明し、近代日本国家が形成されたプロセスを検証する取り組みは、沖縄の歴史学界にいまだ見られないところ。歴史学者の視野が東アジア世界に集中し過ぎているため、近代史の考察に偏りが表れやすい。端的な例で言うと、文部科学省検定済の中学・高校の日本史教科書を見ると、琉球国はアジアの貿易国家「琉球王国」であり、中華帝国との冊封(さくほう)関係・進貢貿易が存在した事実が強調されがちだ。こうした通史的連続性のあいまいな記述と歴史認識は、外交交渉のカードとして、他国にたやすく利用されがちである。
――日本の皇室に対する沖縄の人々の感情は?
明治12年以降の近代から平成の今日にいたるまで、沖縄県民の皇室に対する敬意と尊王の心は熱く、厚く流れている、と私は考えている。戦前は学校教育による教化が中心にあり、制度的・体系的に皇室を尊崇するよう導かれた部分も影響しているだろう。
一方で、戦後とくに昭和47年の沖縄県祖国復帰以降は、中学・高校生をはじめ、学校現場における平和教育や「皇民化教育」批判の影響を受け、皇室を縁遠い存在、雲の上の存在だと認識してしまう若者がいたとしても不思議ではない、とも感じている。