歌の論評もなくNHK紅白ばかり話題にする“平和な”各誌新年特集
◆新潮は他愛ない裏話
年が明け、松も取れて、寒波の中で日本列島は新年を迎えている。週刊誌は「迎春増大号」を出しているが、内容は新しい年のスタートにしては物足りない小ネタばかりだ。なかでも大晦日に行われたNHK紅白歌合戦の「舞台裏」を書き連ねた「特集」が各誌を飾る一番大きな記事となっているのは、この国の平和さを物語っているようでもある。
週刊新潮(1月15日号)は「画面には映らなかった紅白『舞台裏』」を載せ、週刊文春(1月15日号)も同じような「紅白歌合戦『楽屋ウラ』全情報」を伝えている。
最近の紅白は和洋中の料理がメーンディッシュもデザートも一つのテーブルにてんこ盛りになっているビュッフェパーティーのようになってしまい、年の瀬にじっくりと1年を振り返りながら、流行(はや)った歌を聞きたいと思う視聴者の願いはまったく無視された作りになってしまった。
だから週刊誌は歌については論評せずに、ステージ裏で何が起きていたのかを書く、というスタイルが定着してきた。しかし、いずれも、業界話を除けば、前夜の番組を翌朝、学校の廊下で「ねえねえ、みたみた?」とやる中学生レベルの話にすぎない。誰が噛(か)んだ(とちった)とか、声量が少なかったとか、彼が出ると思わなかった、など他愛のないものばかりで、記事に目を通した読者も「そうだったな」程度で、どうしても読むべき記事というわけでもない。
◆番宣を酷評した文春
その中で、少しは週刊誌らしさを出しているのが週刊文春だ。テレビや芸能記事のライター今井舞氏の「紅白は『番宣』に成り下がった!」の記事である。「『国民的番組』の看板はどこへやら」NHKの番組宣伝ばかりが目立ったと指摘している。
出演歌手の「『出られるだけでありがたい』組と『出てやっている』組の差が年々開いている」として、主に演歌歌手を「ありがたい」組に分けている。彼らの歌は、ジャンルの違う歌手(アイドル)たちによる「賑やかし」(曲紹介やバックダンスなど)の演出で歌の雰囲気が壊されている。しかし、これに文句も付けられないほど演歌の扱いは低下しているのだ。「ありがたい」組の悲哀である。
一方の「出てやっている」組について今井氏は、福山雅治、サザンオールスターズ、長渕剛、中森明菜などを挙げている。いずれもTV局にすれば「わがまま」な出演者で、扱いが厄介そうだ。
「混ぜるな!危険」とは、共演の難しい出演者で、だから、遠隔地からの中継などで、物理的に同じ空間に置かないなど、涙ぐましい苦労が行われている。それに視聴者が「うまく歌えるか」「声は出るか」とハラハラしながら見なければならない歌手というのも何だか分からない。そうまでしてNHKは視聴率を上げたいか?
朝の連続ドラマ、大河ドラマなどの出演者を総動員して、小芝居をして見せたりの「番組宣伝」を行うのも、歌合戦に必要か考えたらいい。同誌は「手前味噌なNHKの宣伝コーナーが目白押しだった」と総括している。
◆首相の総裁選に関心
年末の総選挙で「大勝」した安倍晋三首相を扱った記事が週刊新潮にある。「『安倍総理』オリンピックまでの続投」だ。五輪とは2020年の東京大会のこと。だが、安倍自民党総裁の任期は18年9月までだから「続投」はできない。
ところが、16年夏にある参院選との衆参同日選を行って、文字通りの「大勝」をし、その余勢を駆って総裁任期を伸ばして、座り続ける、というシナリオが出ているというのだ。もっとも、連立を組む公明党はダブル選を嫌う。なので総裁任期の18年まで総選挙を引き延ばし、勝利してから党則を変えて「3期目」を狙うというのである。
なぜそれほどまで総理総裁の座にいたいのか。日本を「世界の中心で輝く国」にしたいためだ。具体的には憲法を改正し、国際社会で相応の地位を得ること。つまり、自国軍隊を持ち、国連安保理常任理事国になるなど、国際機関での発言力を得ることだ。すべては「アベノミクスの成否にかかっている」と「政治アナリストの伊藤惇夫氏」は同誌に語るが、その通りだろう。
週刊文春は「戦争の歴史を学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なことだと思っています」という天皇陛下の新年のお言葉を紹介している。これは「政権に向けられた異例のメッセージ」(宮内庁担当記者)だと伝えているが、安倍首相はこれをどう聞いたか。
(岩崎 哲)/p>