本紙、残る未公表1本特定 朝日・慰安婦報道の取り消し記事
文化人執筆で「吉田証言」独り歩き
朝日新聞社が、韓国・済州島で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽として、証言に依拠した関連記事16本を取り消し、うち12本の掲載日などを明らかにしたが、世界日報社は20日までに、未公表だった4本すべての記事を特定した。18日付で3本を特定したが、残り1本は調査中だった。
特定した残り1本は1992(平成4)年2月1日夕刊「〔私の紙面批評〕冷静な検証のない危険性」と題した映画監督の寄稿記事。同監督は日本を代表する映画監督の一人で、日本中国文化交流協会代表理事も務めていた。
記事は「新年(注・92年)に入った直後のブッシュ来日と自動車問題、ドンケル提案、旧ソ連のジレンマ、従軍慰安婦、脳死臨調、共和疑惑と数えきれない情報がこの一カ月に集中した」と切り出し「この多様で底知れない政治紛争を一握りの官僚や政治家の手で動く政府だけで解決できるのか、という疑念が私に生まれた。従軍慰安婦の問題がそれである」と続く。
その上で「二十三日夕刊の『窓』に掲載された吉田清治氏(78)の証言によれば、氏がかつて労務報国会の動員部長として朝鮮総督府の役人や警官と共に村を包囲して女性を追い立て、木剣で殴りつけてはトラックに運び去ったとある」として、慰安婦問題の存在を裏打ちするのに、朝日の記事を引用している。
朝日が取り消した16本の記事の一つであるコラム「窓」(1月23日)は「窓・論説委員室から」と銘打ち、当時、土日を除き毎日掲載され夕刊の社説と見られた。「従軍慰安婦」と題したコラムは、吉田氏の証言、人となりを紹介。当時の宮沢喜一首相が訪韓し、首脳会談や国会演説で慰安婦問題について謝罪したその直後に書かれた、いわば朝日新聞の“凱歌”の記事。
よく知られた映画監督が引用した寄稿文によって、さらに吉田証言は権威付けられ、独り歩きする道を進んでいったと言っていい。
吉田証言絡みは取り消し16本の他にも
今後、記事の信憑性で論議も
世界日報社が20日までに、朝日新聞社が済州島(韓国)で慰安婦を強制連行したとする吉田清治氏(故人)の証言を虚偽とし、取り消した証言関連記事16本を特定した(朝日公表の12本を含む)。この結果、朝日新聞の吉田証言を取り上げた過去の記事のうち今回、取り消し対象になっていないものもいくつかあることが分かった(関連図表の欄外参照)。それらの記事内容は大きく2パターンに分けられる。
一つは吉田清治氏の証言で、慰安婦の「強制連行」の主張とは直接関わりの弱いもの。例えば1982(昭和57)年10月1日「朝鮮人こうして連行」の記事がそれ。樺太へ強制連行されたとして朝鮮人が起こしたいわゆる「樺太裁判」で、吉田氏が戦争中、女性だけでなく男性に対する強制連行にも携わったという証言を載せている。
もう一つのパターンは、記事中で、吉田清治氏を取り上げてはいるが、記事全体としてはより包括的な重要なテーマに重点を移した記事で、論点を巧妙にすり変えたという批判も出ている。
例えば1997(平成9)年3月31日「従軍慰安婦 消せない事実」。「いわゆる慰安婦が、自らの意思に反した形で、日本軍兵士の性の相手をさせられたという広い意味での強制性はあった」(9月11日木村伊量社長会見の朝日側の主張)というスタンスは崩していないため、取り消しをしないものとみられる。
こうした点から見ると、今回の措置は、既に10年以上前に、事実上決着のついていた吉田証言の虚偽性を前面に出すことによって、「広い意味の強制性」を生かすため、とかげの尻尾切りを図ったと言える。
取り消し16本の記事が特定されたことで、今後、これらの問題でも論議を呼ぶことは避けられない。
(朝日新聞の虚報調査研究班)