天安門事件25年に検閲や暴力の中国共産党支配を東洋経済等が批判
◆有効性説く思考回路
天安門事件から今年で25年目。「当時の悲劇を忘れるな」とばかりに各地で若者や学生によるデモが起こっているようだが、当局は「当時の出来事は小さな問題にすぎない」「すでに解決したこと」とまったく相手にしない様子。しかしながら、その一方で少数民族のウイグル族と思われる反体制勢力による爆弾事件が相次ぐなど、民族問題は拡大化の様相を呈している。習近平体制発足から1年余り経過したものの、経済は減速傾向、近隣諸国との軋轢(あつれき)も増すなど難問が山積する。
こうした中国を取り巻く情勢に対して、経済誌が興味深い特集を掲載した。一つは週刊東洋経済5月24日号の中国の検閲に関する記事。映画監督の賈(ジャー)樟柯(チャンクー)氏へのインタビュー記事で「格差社会を撮る鬼才が語る中国の『検閲』と『暴力』」との見出しが躍る。
この中で賈氏は、自身の作った作品が中国政府の圧力で上映中止になったことを紹介。「一度は許可され、その後中止になった。一度は許可されたことを見れば、昔に比べ前進しているのかな」と冗談交じりに言いながらも、「中国社会では、暴力の有効性が強調され続けてきました。例えば革命。革命はすなわち暴力で、暴力を通してはじめて社会の人々や人々の暮らしを変えることができたのです」と語る。もちろん、同氏は「このあり方は変えるべきです」と語っているが、この記事から中国人あるいは中国当局の思考回路の一端を見ることができる。
◆柔軟路線困難の指摘
週刊エコノミストは、6月3日号で「中国の少数民族」と題する特集を組んだ。この特集には3人の学者が登場し、中国の少数民族に関する論文を掲載している。そもそも中国には現在、爆弾による暴動が頻繁する新疆ウイグル自治区のほかに四つの自治区がある。これらの自治区は元来、民族はもちろん、宗教も言語も違う。それを中国政府は共産主義のイデオロギーをもってしばりつけ、中国語を公用語としている。
一般に北京や上海など現在中国が発展している地域は漢族が握っており、そうした経済成長の陰で少数民族との格差が広がり、それに対する不満が鬱積している。特集で南山大学総合政策学部の星野昌裕教授は、「少数民族への優遇策をも受け取れる民族区域自治制度にもかかわらず、少数民族の騒乱が絶えない一因は、中国が採用する共産党の一党支配体制という政治システムにある」と断言している。
すなわち、五つの自治区の総面積が中国全体の3分の2を占め、それらの自治区が周辺国との国境を形成しているため、中国政府にとって民族政策は即、安全保障問題につながっていく。従って民族政策を柔軟路線に移行することは極めて困難だ、というのが星野教授の結論である。
◆主義による問題行動
もう一誌は週刊ダイヤモンド5月24日号である。同号では「新・中国バイブル」と題して特集を組んだ。目まぐるしく動く中国情勢に対して政治、経済、金融、外交など六つの分野から最新の情報を届けるという意味で「バイブル」と見出しを付けたというが、その中で習近平総書記をテーマにした記事がある。
この記事の命題は「習近平は改革を遂行できるのかどうか」で元駐中国大使の宮本雄二氏の談話をまとめたものだが、その中で宮本氏は「習近平への権力集中を理解するには、中国共産党の行動原理である『民主と集中』を理解しなければならない。すなわち、皆で議論して決めたことは集中した権力で実施するということです」と語っている。
宮本氏の発言で指摘しておかなければならないのは、「民主と集中」は決して中国共産党だけのものではなく日本共産党も「民主集中制」を採用している。民主集中制は確かに、党で決めたことを皆で実施する組織論だが、問題は党決定は絶対で、それ以外の行動は許されず、最悪の場合、除名あるいは血の粛清になるということだ。
政党が複数あれば、「勝手にして下さい」とも言えるが、一党独裁なら話は違う。国民がその決定に従わなければならないのだ。しかも、その血の粛清が党の行動規範のままに淡々と行われるところに共産主義の怖さがある。賈映画監督の作品の上映禁止も、少数民族への弾圧も、近隣諸国への暴力的行動もすべてその背後には共産主義があることを忘れてはならない。
(湯朝 肇)