「銃」を持ち出し危機を煽るNW日本版「2024年の全米動乱」特集
「議会襲撃」の再演も
ニューズウィーク日本版(1月25日号)が「2024年の全米動乱」という特集をしている。「動乱」とは穏やかではないが、今年は米中間選挙があり、2年前の大統領選でバイデン陣営に「勝利を盗まれた」と信じているトランプ支持者が反撃の狼煙(のろし)を上げて攻勢を仕掛ける選挙になると予想されている。
しこりどころか、深刻な分裂と対立を残したまま迎える選挙はすでに次の大統領選に向けた前哨戦、いや本格戦闘の端緒となるわけで、それだけにトランプ支持者や共和党員の鼻息も荒い。
これはリベラルメディアの同誌がこうした共和党、トランプ支持層の動きを“警戒する”記事なのかと読むと、それはそうなのだか、視点がちょっと違う。焦点は「銃」なのだ。
2年前の「議会襲撃」は衝撃的な事件だった。民主主義の王国であるはずのアメリカで、投開票自体がきちっと行われず、大勢が決まれば「勝ち」を認めるコンシードの考え方は、曖昧票を割って小数点まで付ける日本の開票からすれば、あまりにも大雑把に映った。
公的な機関が1票1票数えて、きっちりと白黒つければいいではないかと、日本の感覚では思ってしまうが、米大統領選の制度はそうではない。州ごとに優劣が決まれば、そこの選挙人(数)を総取りする。なので大勢がはっきりすれば最後まで数えない、ということもあり得る。
だが、ここで票(函(はこ))が盗まれただの、ダブってカウントされただの、およそ信じられないことが起こった。その“いい加減な”開票結果に承服できないとして「議会襲撃」にまで発展してしまったことにも衝撃を受けたが、これは、結局「最後は法の支配よりも力がものをいうのがアメリカなのか」との感をも抱かせるものだった。こうした前例からすれば、見出しのように開票をめぐってまた「動乱」が再演される可能性もある。
「普通の人々」が暴走
ここからが本題だ。「力」といえば、その象徴が「銃」だ。州ごとに違うが銃の所有はアメリカの歴史と密接に関わる権利として保障されている所が多い。しかし、その一方で銃による事故は頻発しており、常に規制論議があるのだが、「銃の所有権(武装権)を守れと声高に主張するのはもっぱら共和党系の人たち」だと、ここで同誌は念を押す。
そして、「今年半ばには連邦最高裁が『全米ライフル協会(NRA)ニューヨーク州支部対ブルーン事件』の判決を言い渡す見込み」で、「今の最高裁では保守派が優勢だから、国内どこでも銃を携帯する権利が無制限に認められる可能性がある」と予測する。つまり「銃を所持して連邦議会議事堂に入ることは完全に合法となる」と危惧を示すのだ。
これをもって、今度、議会襲撃というような事態になれば、銃武装した人たちが議会を占拠する可能性があるという、まるで映画のようなことを言っているのだ。
こうした過激行動は一部の暴徒の話だろうと思うが、同誌は次の記事で、前回議会を襲ったのは過激思想の持ち主ばかりでなく、大半は「普通の人々」つまり、「(逮捕または起訴された)半数以上が企業のCEOを含む事業主や、医師や弁護士、会計士などを含むホワイトカラー」だったと示している。
なぜ彼らなのか。同誌によると、彼らは民主党による「大置換」に反発する人々だという。大置換とは「民主党リベラル派指導者が移民政策を通じて白人の割合が減るよう誘導している」とする考え方だ。これが米社会を分断している「最も重要な要素」だという。
圧倒的勝利が必要に
バイデン政権の中間評価は芳しいものにはならないだろうし、次の大統領選にはトランプ氏が出てくるだろうと同誌は予測する。そこに「銃」による「議会襲撃」のシーンを描いて反トランプ層に警戒を促す、そうした構図にも読める。
要は異議を差し挟むことができない明確で圧倒的な票差で勝利すれば、結果は受け入れざるを得ない、ということだ。わざわざ銃を持ち出して危機を煽(あお)る必要もないと思うのだが…。
(岩崎 哲)