集団的自衛権に戦争イメージ膨らませた誘導質問する朝日世論調査
◆国際常識説く「正論」
「集団的自衛権」。今年に入って随分、この言葉を耳にする。とりわけ3月に入って新聞紙面に載る頻度が高まった。安倍晋三首相の私的諮問機関、安保法制懇が「行使」を認める要件をほぼ固めたからだ。国会で予算案が通過すれば、本格論議が始まり、一層、紙面を賑わすことだろう。
これまで集団的自衛権をめぐる政府解釈は禅問答みたいだった。権利は保持しているが、行使できないとしてきたからだ。行使できないなら、結局、保持していることにならない。表現の自由はあるが、表現できないというのと同じで、政府解釈はいかにもいかがわしい。
そもそも集団的自衛権とは何なのか。安倍首相の肝煎りで内閣法制局長官に就いた小松一郎氏は外務省国際法局長を務めた人で、著書『実践国際法』の中で集団的自衛権について、強盗に殺されそうになった隣人を助ける「刑法でいう『他者のための正当防衛』」であり、「法制度として常識的なものだ」として行使を肯定している。こっちの方がはるかに分かりやすい。
これは国際常識で、元外交官僚の岡崎久彦氏も同様のことを述べている(産経3月6日付「正論」)。岡崎氏によれば、日本は国連憲章を憲法上の手続きに従って批准しており、その規定は国内法と同じ権威があるが、そこには日本は独立国として固有の権利である集団的及び個別的自衛権を有すると明記してある。
「固有」はフランス語(国連憲章の正文)では「集団的個別的正当防衛の自然権」と書かれており、正当防衛を国家が存在して以来存在する自然権として認め、その中に自己だけでなく他人も含んでいる。こんなふうに岡崎氏も分かりやすく説いている。
◆朝日が高飛車に定義
ところが、朝日に掛かると、さっぱり分からなくなる。3日付社説は集団的自衛権について「日本に関係のある国が攻撃されたとき、自衛隊が反撃に加勢する権利である」とし、「この権利を使うことは、何を意味するのか。日本が直接攻撃されたわけではないのに、交戦国になるということだ」と高飛車に定義している。
「反撃に加勢」するとか、「交戦国になる」とか、戦争イメージを膨らませ、行使肯定論者はまるで好戦家と言わんばかりで、本来の「正当防衛権」は見事なまでに吹き飛ばしている。
これがいつもの朝日手法である。例えば、世論調査で行使の是非を問うときは「集団的自衛権とは、アメリカのような同盟国が攻撃された時に、日本が攻撃されていなくても、日本への攻撃とみなして、一緒に戦う権利のことです」と独特の解説をしてから問うている(例えば朝日2013年8月26日付)。
ここで登場するのは「一緒に戦う権利」である。読者に「戦う」という戦争イメージを抱かせ、そのうえで行使の是非を問えば、非が増えるのは当たり前だ。明らかな誘導である。こうして朝日的世論が巧妙に作り出される。
朝日3日付は社説だけでなく、集団的自衛権特集で「集団的自衛権 読み解く」とのロゴ入り記事がいたるところに載った。1面トップに「同盟強化へ『一緒に戦う』」とのベタ白抜き見出しを躍らせ、2面は「岐路 突き進む首相」、9面は全面使って「一からわかる 集団的自衛権」、そして社説へと続いていた。
ここでも「一緒に戦う」である。明らかに集団的自衛権行使=一緒に戦う=戦争との刷り込みを行おうとしている。典型的なラベリングだ。
◆都内で緩めた見出し
ただし、この見出しは筆者が千葉県内で読んだ13版のものだ。都内で配達されている14版では「同盟強化へ『一緒に戦う』」が「同盟の証し『一緒に戦う覚悟』」に代えられていた。むろん1面は重要ニュースが入れば差し替えもあるから、見出しの変化は珍しいことではない。
しかし、この場合はそうではない。13版の「一緒に戦う」があまりにもストレート過ぎるので、目立つ都内版では「証し」「覚悟」と“緩め”にしたとしか思えない。あるいは早版では“堂々”と世論誘導を行い、批判を浴びやすい都内版ではカモフラージュしたのだろうか。
いずれにしても巧妙な世論誘導を懲りずにやっている。朝日の偏向報道はいよいよ佳境に入ったと言うべきか。
(増 記代司)