大山晃司選手、憧れを捨てつかんだ自分の射形
「仲さんに良い報告ができる」、「代役」の意地を示す
わずかに動く左手で弓を持ち、口で弦を固定し矢を放つ。パラアーチェリー男子W1(車いす)代表の大山晃司選手(29)=警視庁=。理想とした海外選手のフォームを捨て、新たに習得した自分の射形。準々決勝で格上に敗れたが、「自分の武器を貫けた」と満足そうに笑った。
大学生だった2012年、体操部の練習で頭から落ち、頸椎(けいつい)を損傷した。病院で目覚めた時、体はぴくりとも動かず、できたのはまばたきだけ。「これが生けるしかばねか」。絶望の中、死ぬことばかりを考えた。
「きっといいことあるよ」と励まし続けてくれた看護師やスタッフに、「僕より自分の未来を信じてくれる」と心を動かされた。リハビリを担当した医師の「最初の1年、死ぬ気でやれば人生が変わるよ」という言葉を信じ、やがて左手で物をつかめるようになった。
好きだった運動に意識が向いた16年、アーチェリーに出合った。ネットで見た口で弓を引くロンドン大会金メダリストの姿に、電流が走った。「かっこいい。これだ」。初心者教室に通い、理想形と信じフォームをまねた。
最初は、口を切るほど弦を引き絞っても矢は飛ばなかったが、次第に頭角を現した。1年後に全国大会で優勝し、18年には日本代表。破竹の勢いだったが、19年は不調に陥り、東京大会の出場は逃した。
失意の中、大山選手はフォーム改造に踏み切る。憧れた海外選手のスタイルには、体への負担の大きさも感じていた。試行錯誤の末、「自分の形」が見えてきたころ、同クラスで代表に決まっていた仲喜嗣さんが死去。意外な形で出場が決まった。
「代役」と言われ、2人分の期待をかけられることには複雑な思いもあった。それでも、初戦では仲さんをほうふつとさせる勝負強さで意地を見せた。「力を貸してくれた。良い報告ができる」と語った。