安倍首相国会答弁に「立憲主義の否定」と噛みつく東京のウソ見出し
◆朝日が持ち出す手法
「立憲主義」を持ち出して“安倍叩き”をやる。朝日はこの手法に拍車を掛けている。安倍晋三首相が1月の施政方針演説で、「自由や民主主義、人権、法の支配の原則こそが、世界の繁栄をもたらす基盤」とし、「こうした基本的価値を共有する国々と」連携を深めると述べたところ、1面コラム「天声人語」はこう皮肉った。
「首相が列挙した『価値』はいずれも近代西洋の産物だ。しかし、首相も加わってつくった自民党の憲法改正草案は、むしろ西洋離れを打ち出していた。…演説とはずいぶん毛色が違うけれども、このずれをどう考えるのだろうか」(1月25日付) 天声人語は自民党の改憲草案がわが国の歴史、伝統、文化に立ち返ろうとしていることを「西洋離れ」と決めつけ、立憲主義に反するかのように論じている。これに応じて野党議員が衆院予算委で取り上げると、社説では「立憲主義とは 首相の不思議な憲法観」(2月6日付)と、安倍首相の答弁に噛(か)み付いた。
何が不思議なのかというと、安倍首相が「(憲法が国家権力を縛るという考え方は)王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え」と述べ、現代の日本になじまないといった趣旨の答弁をしたことについてである。
朝日によれば、これは立憲主義からの逸脱で、96条改正(改憲手続き緩和)論が広がらないのは「(改正が)立憲主義の精神を骨抜きにすることだと、多くの国民が感じとっているからではないか」ともしている。
だが、理解し難い主張だ。そもそも自民党の改憲案に自由や民主主義、人権、法の支配の原則を否定した条項はまったく存在しない。歴史、伝統、文化を重んずることがイコール基本的価値の否定や「西洋離れ」とするのは独善にすぎない。
現に議会制民主主義の母国とされる英国は成文憲法を持たず、マグナカルタ(1215年)以来のコモンロー(慣習法の体系)を法の基礎に据えている。朝日的憲法観は絶対王制を打倒したフランス革命や国家を「支配の道具」(マルクス)とする階級国家観のものだ。現行のフランス憲法は責任や義務規定を設けており、国家を縛るだけが現代の立憲主義ではない。
◆補佐機関を金科玉条
にもかかわらず朝日はマルクス的立憲主義にしがみつき、集団的自衛権行使の憲法解釈をめぐる論議でも“安倍叩き”に余念がない。衆院予算委で野党議員が、内閣法制局長官が総理の上位にあるかのように述べ、これに対し安倍首相が「最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける」と答えると、朝日15日付社説「集団的自衛権 聞き流せぬ首相の答弁」は安倍首相が独裁者であるかのように論じた。
これも筋違いな批判だ。法制局は「法律問題に関し、内閣、内閣総理大臣、各省大臣に対し意見を述べること」が主な仕事で、幹部職は法務、財務、総務、経済産業、農林水産の5省出身者が占め、長官は農水省を除く4省出身者が就くのが小松一郎現長官までの慣例としてきた。つまり法律の専門家でも、ましてや司法機関でもない。あくまでも内閣の補佐機関だ。
それを朝日は集団的自衛権行使を違憲とする政府解釈を維持したいがために法制局を金科玉条とし、東京に至っては13日付1面で「首相、立憲主義を否定」との大ウソの見出しを掲げた。朝日16日付天声人語は、「憲法にかかわる安倍首相の一連の発言のおかげで(立憲主義の)出番が増えた」と、前掲の焼き直しのような文章を綴り、「首相は予算委員会で問われることに迷惑顔だが、大いに論じてほしい」と再び野党をけしかけている。
◆朝日で68%望ましい
ところで、朝日は自民党の改憲草案を「立憲主義の骨抜き」と「多くの国民」が感じているとしているが、これも真っ赤なウソだ。昨年5月の朝日世論調査(同5月2日付)では、同草案が自由と権利には責任と義務が伴うとしている点に68%が「望ましい」と答えている。朝日と同様に「(憲法が)国家の行動を制約するもの」と答えた人は18%にすぎなかった。
この自社の世論調査の結果すら忘れ去り、事実を歪める朝日こそ、「不思議な憲法観」と言うほかあるまい。
(増 記代司)