マルクスとケインズに焦点を当て、来るべき世界を予測する東洋経済

◆形を変える資本主義

 経済思想史の中で世界を変えた経済学者を2人挙げよと言われれば、おおよその人はマルクスとケインズの名を並べるに違いない。前者は資本主義を否定し、暴力革命を通し理想郷としての共産主義世界実現を唱えたのに対し、後者は世界をどん底に落とした大恐慌に対し積極財政政策を論じ危機を乗り越えさせた人物である。新型コロナウイルス拡大で世界が混沌(こんとん)とする中、金融資本主義が跋扈(ばっこ)し所得格差が拡大、さらに気候変動による災害が世界各地で頻繁化すれば人類の不満と不安は増大するばかり。

 そんな状況下にあって週刊東洋経済(4月10日号)は前述の2人の経済学者に焦点を当て、来るべき世界を予測する。

 「マルクスVSケインズ」との特集に、副題には「環境・格差 テクノロジー」の見出しが入る。「貧富の格差拡大や気候変動に代表される環境破壊、AI(人工知能)など制御困難なテクノロジーの脅威が資本主義を揺さぶる。…『一党独裁』の中国が台頭する中で、国家と社会、個人のあり方が今後根本から問われてくる」とし、さらに「脱経済成長を旗印に支持を広げる新マルクス主義と新型コロナウイルス禍で完全復活したケインズ主義を軸に、大思想家が残した知恵を学び直そう」というのである。

 同誌は何人かの学者を揃(そろ)えてケインズあるいはマルクスが目指したもの、いわゆるポスト資本主義を描こうとする。例えば、吉川洋・立正大学学長は「ケインズは経済を主導するのは家計の消費であり、そのためには消費性向が強い低所得層にお金が行き渡るようにしなければならないと説きました」と説明。現在の自由放任と政府介入の否定を論調とする新古典派のマクロ経済政策の限界を指摘する。

 また岩井克人・東京大学名誉教授は「ポスト産業資本主義では世間の常識に反してお金が価値を失いつつある」とし、「持続可能な開発目標」(SDGs)は「資本主義それ自体を持続可能な形に転換させるための大きな力になるはずだ」と説き、新たな資本主義の到来を予測する。

◆「第三の道」の提唱も

 一方、マルクスについて言えば、マスクス主義を現代的に意義付けし、再評価しようとする動きがある。そもそも、マルクスの唱えた共産主義に対して、多くの人は「ソ連崩壊とともに歴史の遺物となった」と見る向きが多い。中には「革命理論で実践する過程で粛清と称し多くの犠牲者を出したが、その責任をどう取るのか」といった意見も出るほどだ。

 だが、的場昭弘・神奈川大学副学長は「賃労働によって失われるものは、資本に搾取される自らの労働の一部(剰余価値=利潤)の喪失という量の問題だけではありません。労働することの意味の喪失であり、また人間が労働を通じて結び合っている人間関係の喪失でもあります」とマルクス主義そのものを述べ、さらに「マルクスが唱えた、人々による経営参加や自主管理、資本の所有、公共団体への参加といった社会が来るかもしれません」と語る。まさに労働者階級中心の社会到来を予測する。

 同じマルクス主義でも斎藤幸平・大阪市立大学大学院准教授になると、「水や電力、住居、医療、教育など、誰もがそれなしに生きていけないものは、本来、商品化すべきではない。社会的に共有され、管理されるべきだ。これが『コモン』という考え方である。そして、コモン型社会こそ、マルクスの考えた社会主義である」と明言。加えて「市民たちが自らの手で民主主義的に管理すること。『コモン』とは米国型自由主義とソ連型国有化の両方に対峙する、第三の道である」と息巻く。

◆共産国の現実直視を

 ここで留意しておかなければならないのは、共産主義の本質は弱者の救済ではなく、体制の打破であり、政権奪取に成功した後、住民は監視と自己批判を強行・強要されるということだ。共産主義はそうした指向性を内在しており、それは現在の北朝鮮あるいは中国を見れば一目瞭然なのである。

(湯朝 肇)