強制連行否定の米論文に怒る韓国世論に対し「冷静な対話」訴えるNW

◆「集団思考」の弊正す

 ニューズウィーク日本版3月2日号に「慰安婦問題で韓国が目覚める時」~リード文「強制連行を否定する米論文に怒りの韓国世論/必要なのは異議を検証する冷静な公的対話だ」という内容の記事が出ており、興味深い。

 ここで言う「米論文」とはハーバード大学ロースクールのジョン・マーク・ラムザイヤー教授が先頃、米誌に発表した「太平洋戦争における性契約」と題した論文。その要(かなめ)の部分で「女性と慰安所は1~2年の任期契約を締結し、第二次世界大戦の最後の月まで女性は任期を全うし家に帰った」とし「契約にいかなる強制もなかった」と主張している。

 NW記事の筆者はジョセフ・イ(漢陽大学政治学部准教授)とジョー・フィリップス(延世大学アンダーウッド国際学部准教授)。ラムザイヤー教授の論文内容に韓国内で声高に抗議活動が続いており、これに対し「韓国では慰安婦に関する研究や論議が制限され、そのせいで、普段は活発な公的論議を重視する社会も政治機構も集団思考に陥っている」、「韓国を拠点とする学者である私たちは、この論文には非難ではなく論議が必要だと訴えたい」と。

 その「集団思考」は今回だけでなく以前から慰安婦問題に対して起きており、その弊や誤りについて幾つか挙げている。例えば、世宗大学日本文学科の朴裕河(パク・ユハ)教授は2013年、『帝国の慰安婦』を出版した。「(その著書で)慰安婦の体験の多様性を伝え、一部証言の信憑性を疑問視した」ところ、元慰安婦らに損害賠償訴訟を起こされ、罰金の有罪判決。議論での対抗はなく社会的制裁を受けたなどなど。

 記事は「(慰安婦問題に敏感な韓国民だが)最も当惑させられるのは、韓国では日本による植民地支配以前も以降も、国家主導の下で性的労働が行われていた歴史への認識がほぼ不在であることだ」として、歴史認識の在り方にも疑問を呈す。その上で「ラムザイヤーの論文に対して、反射的に謝罪と撤回を要求している人々は自分自身と韓国、そして人権コミュニティーのために、自らの根強い信条を論じ、見直す機会を歓迎したほうがいい」と断じている。

 NWの記事は、「慰安婦問題」における海外の良識派の意見であるが、この種の声が日本国内になかなか伝わりにくい。

◆15年に合意した日韓

 一方、1月8日、韓国の元慰安婦らが日本政府を相手に損害賠償を求めた訴訟で、ソウル中央地裁が原告側の訴えを全面的に認める判決があった。菅義偉首相はこれについて国際法上の「主権免除」の原則に触れ「主権国家は他国の裁判権には服さない」と主張した。

 それに対し週刊金曜日2月19日号で、阿部浩己明治学院大学教授(国際法)は、「人間中心の国際法を積極的にたぐり寄せようとする今回の判決が、主権免除のあり方をめぐる法実務の世界に重みある一石を投じた」として、主権免除か人間中心の国際法か、という対立軸でこの裁判を評価している。

 しかし、実際はそうではない。2015年の「日韓慰安婦合意」で安倍晋三前首相は「慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした。日本政府は、これまで主権免除だけで一方的に慰安婦問題を処理したことはない。

◆「従軍慰安婦」が復活

 他方、国内の出来事だが、中学校歴史教科書に新規参入した山川出版社が「従軍慰安婦」の記述を復活させ、それが令和元年度検定で合格した。「従軍慰安婦」復活は大変憂慮される。

 「従軍慰安婦」という言葉は戦時中に存在せず、昭和48年、同名小説を著した千田夏光氏の造語だ。この造語が新聞報道でも使われ、強制連行のイメージと共に世に広まっていったが、批判が相次ぎ、その後教科書に「従軍」と冠した記述はなくなっていた。先月24日、東京・憲政記念館で教科書から「従軍慰安婦」の記述の削除を求める有志たちの集会があった。この運動の輪を広げていかねばならない。

 (片上晴彦)