戦前・戦中は戦争を煽り、今は反安倍を煽る朝日の変わらぬ煽り体質
◆憎悪むき出しの特集
社会学者で僧侶の故・大村英昭氏がこうおっしゃったことがある。
「現代人は、欲望や情念を煽り追い立てる『煽(あお)りの文化』にとらわれています。それに対し、日本人古来の文化は『鎮(しず)めの文化』でした。時代の曲がり角ごとには心鎮まって反省するような時間が必要なのではありますまいか」(NHK人間大学『鎮めの文化 ~欲望社会と日本人の心』1995年7月)
その頃、阪神大震災と地下鉄サリン事件をめぐってメディアはセンセーショナルな報道を繰り広げた。大村氏はそれを憂い「鎮め」を提唱された。家を建てる前の地鎮祭や菅原道真公の怨霊(おんりょう)鎮めに始まる北野天満宮など、わが国の祭礼には何かを鎮める趣旨のものが多くある。緊急事態といった国の曲がり角には「煽り」ではなく「鎮め」を思い起こそう、と。
新型コロナ禍の緊急事態宣言の下で、ネット空間を中心に、すさんだ言葉が飛び交っているそうだ。それだけでなく近年、憎悪むき出しの「煽り」政治記事も少なくない。朝日が9日付で1ページを割いた日米安保・歴史特集はその典型例のように思われる。「60年安保改定 岸信介の強行と退陣」の見出しで、1960年の日米安保条約改定時の岸氏に「煽り」の枕言葉を投げ付けていたからだ。
「安倍晋三首相の祖父・岸信介。戦前・戦中に権力中枢にあった岸」「対米開戦を決めた東条内閣の商工相だった岸信介」「A級戦犯容疑者だった岸」「かつて軍部と組んで権力中枢を担った岸」
さらにこう書いた。
「(同年5月に日米安保条約が衆院で承認されると)戦前の岸を覚えていた国民は激しく反発した。
オピニオンリーダーの東大教授丸山真男は訴えた。『権力が万能であることを認めながら、同時に民主主義を認めることはできません』(「選択のとき」)。安保論争は、戦後民主主義擁護の闘いとなった」
敬称略の断りがあるとはいえ、戦後の首相にこれほどまで乱暴に戦前のレッテルを貼り付ける“作文”は見たことがない。そこには岸氏を軍国主義者と描き、そのイメージを安倍首相に擦(なす)り付けようとする意図が透けて見える。
◆安保改正の歴史歪曲
おまけに事実関係がおかしい。安保条約に激しく反発したのは、「戦前の岸を覚えていた国民」でなく、丸山真男ら左翼学者やソ連と中国に操られた共産勢力だ。岸氏は58年4月の総選挙で絶対安定多数を獲得、国民の信を得て対米自主外交に取り組み安保条約改正に臨んだ。それを「安保論争は、戦後民主主義擁護の闘い」とは歴史の歪曲(わいきょく)だ。
記事を見ると、筆者は「編集委員・三浦俊章」。政治部出身で一時期、テレビ朝日の「報道ステーション」のコメンテーターを務めた人物だ。三浦氏が戦前のレッテル貼りの嗜好(しこう)をお持ちなら、自社にこんな枕言葉を付けてはどうか。
「国際連盟からの脱退を煽った朝日」(1933年2月25日付「松岡代表鉄火の熱弁 勧告書を徹底的に爆撃 連盟に最後反省を促す」)
「南京占拠に熱狂した朝日」(37年12月18日付夕刊「この万歳・故国に響け威風堂々! 大閲兵式 世紀の絵巻・南京入場」)
「一億特攻を唱えた朝日」(45年5月15日付「一億特攻とは、個人々々がバラバラにて戦ふことではない。一億総力が纏わりたる近代戦力として、怒涛の如く体当たりして、米寇敵軍を叩きのめし、撃ち払うことにある」)
◆立ち位置だけが変化
これはほんの一例だ。戦中期の編集総長だった美土路晶一氏は、後に「生きんがための売節であったが、深く自責している」(『或る新聞人の生涯』=諸君!78年1月号)とうそぶいているが、そんなものではなかった。朝日自身が軍部に先立ち戦争を煽った。
今も昔も、立ち位置が変わっても「煽り」は不変ということか。大村氏に叱られるかもしれないが、朝日記事にはなかなか心鎮まらない。
(増 記代司)