国民の生存権を守るための権限を国に与えず義務は果たせと言う朝日
◆権利制限は国際常識
新型コロナウイルス禍を制する緊急事態宣言が5月末まで延長された。国民は引き続き外出自粛や休業を求められる。さて、どう踏ん張るか、思案顔の読者も多かろう。気を緩めれば元も子もない。ここは工夫を凝らし、生き抜いていくほかない。
ところが、働く権利、遊ぶ権利、移動する権利、生存の権利等々、権利を叫ぶ声が漏れ聞こえる。パチンコ店の中には営業を強行し、大繁盛している所もあった。志村けん氏が健在なら「カラスの勝手でしょ」とは決して言うまい。生きる権利を守るには「勝手」では済まされず、時にはその権利が制限される。
それが世界の常識だ。「国際人権規約」(市民的及び政治的権利に関するB規約)は第4条に、国家は緊急事態に「必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる」と規定している。
そんな重要問題を現行憲法はスルーし、緊急事態条項を備えていない。これは単なるを欠陥ではなく退廃である。以前、本欄で紹介した保守評論家の西部邁氏の言を今一度、書く。
「非常事態が発生しても放っておきましょう、それが日本国憲法の規範感覚なのだ。それはアノミー(無規範状態)への屈伏ということであるから、実は、敗戦日本人の規範感覚は零近くまで衰退しつづけてきたといっても少しも過言ではない」(「憲法意識―宗教的自然と歴史的当然」=月刊『ボイス』2000年6月号)
◆必要な緊急事態条項
憲法記念日の5月3日の各紙社説を見ると、さすがに保守紙は黙っていなかった。産経いわく、「緊急事態条項が必要だ 危機を克服できる基本法持て」。読売も言う、「非常時対応の論議を深めよう/権限行使の根拠や手続き定めよ」。本紙は「憲法が保障する権利と自由を制限する強制力と引き換えに、補償も国が責任をもって行うなど、緊急事態について憲法でしっかり規定し、政府の対処をより迅速で効果的にする法整備を進めていくべきだ」とする。もっともな主張である。
毎日の世論調査は「新型コロナウイルスの感染拡大を受けて、自民党内には、憲法に『緊急事態条項』を設けるべきだとの意見があります。賛成ですか、反対ですか」と、シンプルに同条項の賛否を問うている(3日付)。それには賛成45%、反対14%、分からない34%。即座に答えられない人も多いが、正面切っての反対は1割強にすぎなかった。
ところが、社説では同条項の新設に賛成せず、「危機が続いても、利己主義や差別する心にあらがいたい。自発的に他者を大切にし、民主主義を深化させていく必要がある」としている。心情的にはそうありたいが、「勝手でしょ」の輩(やから)がいれば、アリの穴から堤も崩れる。緊急事態とはそういう性質のものだ。
朝日社説は「コロナ下の安倍政権 憲法に従い国民守る覚悟を」と、相変わらず護憲一辺倒。持ち出してきたのは25条「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」の生存権だ。同条2項は社会福祉や社会保障とともに「公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と国に義務付けるとして、安倍政権に憲法に忠実に従えと言い放つ。
◆「人権栄えて国滅ぶ」
お気軽なものだ。生存権を守るための権限を国に与えないで、どうして義務を果たせようか。国民の義務もまた、問われているのだ。憲法を持ち出すなら12条を忘れてもらっては困る。同条は、国民に保障する自由と権利は国民の不断の努力によって保持し、濫用してはならず、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うとしている。
国民にも責任と義務がある。そこを省いて権利のみ。憲法は国を縛るものとする歪(いびつ)な朝日的憲法観(すなわちマルクス系憲法観)の現れである。「人権栄えて国滅ぶ」。哲学者、勝田吉太郎氏の至言が改めて思い浮かぶ。
(増 記代司)