コロナ禍で「死生観」「言葉」の重要性を指摘した「プライムニュース」

◆価値観の変化課題に

 新型コロナウイルス感染防止と経済活動のせめぎ合いの中で、「緊急事態宣言」が延長されることになった。直接的な理由は、感染者数が宣言発出で期待されたほど減らず、医療現場の逼迫(ひっぱく)状況が続いているからだが、その背景には国民の「行動変容」が不十分なことがある。

 宣言の延長は、1カ月程度の見通しだ。しかし、ウイルスが世界中に拡散してしまった現実を考えれば、これから日本の感染者をゼロにするのは難しい。だから、専門家会議の尾身茂副座長は「長丁場に備え、感染拡大を予防する新しい生活様式」への移行を訴えた。たとえ感染状況が改善し、外出自粛が解除になっても、今後はコロナとの「共存」を前提に、生活と行動の在り方を考えなければならない。

 だが、感染防止の観点だけで人の行動を変えるのは、ストレスがたまり長続きしない。「新しい生活様式」が根付くためには、政府からの要請だからというのではなく、自ら納得して行動を選び取り、その中で喜びを見いだす姿勢が大事になってくる。もっと言えば、ウイルス感染への長期的な対応を迫られる日本人は、行動の優先順位を決める上で、その軸となる価値観の変化という、人間としての本質的な課題を突き付けられているのだ。

◆大事な精神的な営み

 医療・政治・経済の視点から、政府・行政の対応を議論する番組が多い中、個人の価値観という抽象的な問題に焦点を当て、視聴者の内面に問い掛ける番組があった。BSフジ「プライムニュース」(4月30日放送)だ。ゲスト出演者は、日本大学危機管理学部教授の先崎彰容(あきなか)と、東京大学大学院准教授の古田徹也。テーマは「“新型コロナ禍”で日本社会は?哲学倫理学・思想の視点から見る“今”」。

 この番組は毎回、最後に出演者に議論のテーマに沿って提言を求め、そのキーワードをフリップに書かせている。近代日本思想史を専門とする先崎が提示したのは「死生観」。一方、倫理学・哲学を研究する古田は「言葉を選択する責任を果たす」だった。

 コロナ感染により、毎日少なからぬ人々の死が報告され、また経済活動のストップで自殺者も出る状況下で、「何を暢気(のんき)なことを言っているか」と、渋い顔をした視聴者がいたとしても不思議ではないが、先崎は次のように説明した。

 「(非常事態が発生すると)われわれは何か、ワッと、心が持っていかれ、一喜一憂してしまう。そういう時には、一見、遠回しなことを考える精神的な余裕を持ちたい」

 古田も語る。「プラトンは『言葉を正しく使わないことは、それ自体として誤りであるだけでなく、何かの害悪をわれわれの魂に及ぼす』と言った。言葉は単なる道具じゃないからだ。意思疎通の道具という面はあるが、伝えるべき考え、ものの見方、価値観といったもの自体を、言葉が作り出している」

 筆者は緊急事態で行動変容や新しい生活様式を求められる今だからこそ、しっかりした死生観を持つことや言葉を選び取ることの重要性が増している、というわけだ。

 生きること、死することについての考えを持てば、日々の生活で何を優先しなければいけないか、が決まってくる。非常事態に遭遇しても、死生観を持つのと持たないのでは、パニックの度合いが違ってくるだろう。特に、ウイルスは目に見えないだけでなく、コロナについてはまだ分からないことが多く、恐怖が広がりやすい。そんな厄災にあっては、抽象的で遠回しのようであっても、精神的な営みがより大事になる。

◆経済優先に逆戻りも

 9年前の「3・11」の時、1万8000人を超える死者・行方不明者が出たことで、日本人の死生観が変わると言われた。しかし、親族・知人を亡くした人は別にしても、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」のごとく、日本の社会は経済優先に戻ってしまったのではないか。

 コロナ感染は続いたとしても、治療薬やワクチン開発によって、コロナ禍後も3・11後と同じになる可能性も否定できない。言葉を発信するメディアの責任大である。視聴者の内面性を問う番組がもっとほしい。(敬称略)

(森田清策)