阪神大震災25年 自然災害多発の時代に備えよ


 犠牲者6434人を出した阪神大震災から25年がたった。この巨大地震でわが国は大きな教訓を得、防災対策の策定とその推進に向けて努力してきた。来るべき災害にも備えを怠ってはならない。

多数の高齢者受け入れ

 最も被害の大きかった地域の一つ、神戸市長田区のJR新長田駅周辺。密集する住宅や靴工場の約9割が倒壊したが、今は大型商業施設や高層マンションが立ち並ぶ。復興の過程で、住民らを中心に協議が重ねられ、街の再建手法や青写真をめぐり対立も少なくなかったが、人々が離合集散する中で新しい街が出来上がった。

 この間、家をなくした高齢者の行き先が大きな問題となった。これに対し、奈良県や滋賀県など近畿地方の高齢者施設の多くが積極的に受け入れを表明した。人々の温かさがしみじみ伝わってきた。

 震災を契機に国の災害への対処や防災に対する認識も大きく変わった。当時、兵庫県知事の自衛隊派遣の要請が遅れ、救助活動に支障を来したことへの反省を踏まえ、自主派遣が認められるようになった。初動対応の重要性が問われ、災害対策基本法など各種法令の改正や制定、整備や、防災基本計画の大幅な修正が行われた。首相が本部長となる「緊急災害対策本部」の設置要件が緩和され、素早い対応が可能になった。

 また、被災者の避難所を速やかに確保するための対策や被災者に対する災害援護資金の貸し付けが行われるようになった。災害時には、全国からボランティアが駆け付けるが、その受け入れ体制の強化が図られた。

 日本列島で頻発する災害は今日、大規模化して広範囲にわたって被害が生じるなど、想定を超えた様相を呈し、今後の予想すら容易でなくなった。地球温暖化の影響も大きく、自然災害多発の時代に入ってきた。

 政府や自衛隊の迅速な対応、災害発生に関する正確な情報を速やかに収集することの重要性が一層増してきた。救助活動における政府と被災自治体との密なる連携も必須だ。公助、協助、そして災害に対する一人一人の備えと覚悟が求められるようになってきた。

 一方、学術分野のことになるが、政府の地震調査研究推進本部が生まれ、地震の長期評価が行われるようになったのも震災後だ。

 今日、プレートの変化で起きる地震に対し、直前予知の可能性はほぼ否定されている。しかし、気象変化に伴う自然界の電磁波の変化などを利用すれば、予知が可能だという報告もある。この25年間の探究を生かしたわが国ならではの研究成果を期待したい。

国土守る気概を持て

 巨大地震や自然災害は、歴史を変えてしまうほどの威力を秘めているが、経験と知恵を生かし、国土を守らなければならない。日本の歴史を振り返れば、いつの時代にも各地で大きな地震が起き、人々の生命や財産が奪われてきた。しかし、われわれの祖先はそれを克服し、さらにたくましくなって今日の日本文化を築いてきたことを忘れてはならない。