AERAで「条件付き記述式問題は自由な発想せばめる」と日大教授
◆似て非なる記述式?
大学入試改革の目玉の一つ国語・数学の記述式問題(2021年1月開始の「共通テスト」)の導入についても、反対や批判の声が出ている。
AERA11月25日号では、「『国語の記述式』に第一人者が中止を訴える理由/自由な発想 逆にせばめる」と題して、『国語教育の危機』を著した紅野謙介・日本大学教授に話を聞き、編集部がまとめている。紅野教授の話をそのまま記事にしており、記述式問題についてのAERA編集部の見解と見てよいだろう。
紅野教授は先に行われたプレテストの記述式問題の内容について「本来の記述式とは似て非なるもの」と強く批判。「通常、記述式問題をつくるときには設問に条件は極力つけません。自由に発想してもらうためです。そこに記述の醍醐味もあるのです。ところがプレテストでは、「『しかし』で書き出せ」、「『~の是非。』で終われ」といった、「文頭」や「文末」の言葉の指定をはじめ複数の条件がつけられています。(中略)結果的にマークシート式とほとんど変わらないようなものになっています」と。
その上で「本来の記述式問題を授業や試験で扱ったときに、生徒がこう言ってくる可能性があります。『先生、もっと条件をつけてください。そうしないと正解が書けません』」。これでは「生徒は相手の求めている枠内で画一的にしか発想できなくなります」と言うのである。
これは事実ではない。まず、プレテストの設問は、問題の文章内容を要約せよ、というものであり、受験生一人ひとりの意見を開陳せよ、というのではない。従来のマークシート方式の選択肢の内容を、記述によって回答せよ、ということで、文章を正確に読み取る力こそ必要である。
また、一般的に、自由な発想の中にも制限や規定があり、ある条件を満たすためにあれこれ思索する時にこそ、その人の個性や自由な考えが展開し、思考の実を結ぶのである。教育の現場で指導する思考の訓練といっても、日常の論理展開を離れて自由な思考というのはあり得ない。
◆「画一的な生徒生産」
加えて紅野教授は、「プレテストの記述式問題で出題された実用文は、行政の作った景観保護ガイドラインだったり生徒会の規約だったりしました。書かれているルールの範囲内で何ができるかが問われ、ルールそのものを疑うことはさせません。共通テストの背後には、与えられた条件に順応する、画一的な生徒を大量生産しようとするイデオロギーが働いているのではないか」と。これはあまりに大時代的な指摘であり、ここでも同教授は「自由に発想してもらう」という考え方にこだわり過ぎている。
「共通」を冠するテストが導入される以前の大学入試の目的は受験生のふるい落としだった。入学定員は一定なのに、合否線上に数十、数百人が集中しており、それをいかに分別するか。世の中には優秀な者、出来の良くない者、中間の実力の者がいて、前2者の集団は、どんな問題を出されても、結果に変化がない。結局、当落の一線の多数の受験生に対しどう優劣を付けるかが入試の狙いだった。
文部科学省によれば、20年度から始まる「大学入試共通テスト」は、多面的・総合評価する入試転換を標榜(ひょうぼう)し、①知識・技能②思考力・判断表現③主体性を持って多様な人々と協働し学ぶ態度を「学力3要素」とし、それを計るとしている。共通テスト導入の意義もそこにあるが、一方で、入試はふるい落とすという目的が厳然とあってそれは今も変わらない。
◆入試目的を見据えよ
そもそも各人の思考・判断力を1、2回の机上のテストで断じることはできない中で、選別という目的を見据えると、必然的に、問題の内容と採点の在り方の両者の利点をすり合わせながら検討するしかない。そう思ってプレテストの問題、設問を見れば、なかなか良く練られていると思う。採点についても正答要件が明確である。
(片上晴彦)