ストロングマンの時代 指導力問われる文大統領
「朴正煕を見習う」とは言えず
朝鮮半島は歴史的に周辺を強大国に囲まれ、翻弄(ほんろう)されてきた。右顧左眄(うこさべん)しながら、大国をテコにして生存を確保する外交に終始せざるを得なかった。そうした地政学的条件が彼らの民族性を形成してきたと言って間違いない。
現在もその条件は変わっていない。それどころか、半島は南北に分断され、理念・体制が激突し、隣接する大国の思惑に振り回され、自国の運命を自国で決められない状況が続いている。
最近の状況を見ても韓国人はその思いを強くしている。「アメリカ第一主義」を取るトランプ米大統領、「中華崛起(くっき)」を図る習近平中国国家主席、憲法を改正して「普通の国家」を目指す安倍晋三首相、そして北の大国ロシアのプーチン大統領、さらに核・ミサイルを振り回す“暴君”金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長―。周辺各国の指導者はみな「ストロングマン」ぞろいなのだ。
それに引き換え、韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領は彼らに伍(ご)していけるのか。韓国では今、リーダーシップが問われている。朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(12月号)は「列強の時代に戻る“ストロングマン”覇権対抗、われらのリーダーシップを問う」の記事を載せ、韓国がこの荒波を乗り切っていく道を探った。
同誌は、韓国が直面する課題として「対北朝鮮問題の解決」と「強大国ストロングマンとの国際関係方程式をどのように解いていくか」を挙げている。いずれも、強いリーダーシップが問われるものだ。
しかし、文大統領はどうみても「ストロングマン」ではない。崔鎮(チェジン)リーダーシップ研究院長は同誌に「行政家型だ」と語る。内政においても外交においても強い指導力で押していくタイプではないということだ。それでは到底ストロングマンに囲まれながら、自国の利益を主張していけるとは思われない。
崔院長は、「積極的にアピールして、感性的に訴えなければならない。われわれの意向を攻撃的に伝達しなければならない」と注文する。仮に文大統領がこのようなスタイルを取るとすると、慰安婦問題や竹島問題を抱えるわが国としては、文大統領が「条文」や「史料」などの「ファクト(事実)」ではなく、自国民、相手国民に情緒的に攻撃的に訴えてくることを想定しなければならない。
韓国は「情」の国だ。それに引き換え日本は「理」が勝つ。この両者が話し合えば、かみ合わず平行線をたどる。事実、これまでの日韓関係はそのすれ違い続きだった。今後も韓国は条理よりも感情に訴えてくるだろう。これに対して「1965年の日韓条約で解決済み」と言っているだけでは、たとえそれが外交的に正しいとしても、こと日韓問題は解決しないということである。
日本の“知韓派”は口をそろえて、韓国問題は「放っておけ」と言う。一理はあるものの、その結果、慰安婦像が世界中で増殖していっている。そろそろ対韓アプローチを変えてみる時かもしれない。
さて、今、韓国でリーダーシップ論が出てくる背景には、内外情勢がこれだけ厳しいのに、「積弊清算」に血道を上げていていいのか、という批判がある。左派活動家から左派弁護士になった文大統領の世代は「軍事政権」から激しい弾圧を受けてきた。「積弊清算」とはその“恨み”をいま晴らすということだ。
しかし、これでは政権交代するたびに、まず「報復」に没頭する、という「積弊」を繰り返すことになる。外敵と戦う前に内部闘争でつぶし合い、結局、外勢にのまれてきた歴史は全く教訓として生かされていない。
指導者論となると常に登場するのが朴正煕(パクチョンヒ)大統領である。東西冷戦下、激動の時代に世界最貧国に近かった韓国を今日の経済大国に押し上げたのは朴大統領が強いリーダーシップで国を導いたことによるという評価が多い。しかし、左派政権としてはそれを全面的に認めることができない。「朴大統領時代と今日の国際安保状況はそれほど違わない」と多くの韓国人は考えていると同誌は指摘する。文大統領に朴正煕を見習えとは言えないジレンマの中に韓国はいる。
編集委員 岩崎 哲