金正男氏暗殺の衝撃、韓国への亡命阻止が動機か
「金正男(キムジョンナム)暗殺」は韓国に強い衝撃を与えた。金正日(キムジョンイル)朝鮮労働党総書記の長男であり、金正恩(キムジョンウン)委員長の異母兄である彼が、なぜ今、殺されねばならなかったのか、そもそも金正男とはどのような人物だったのか、「どうして正恩は正男を“除去”したのか」との疑いがあるのか、等々、さまざまな疑問が駆け巡っている。
総合月刊誌「月刊中央」(3月号)に「金正男暗殺ショック」の特集が掲載され、これらの疑問を追究している。同誌はまず異母兄弟の関係性について注目した。
「金正男と金正恩は一度も会ったことがない。それでも兄に対する金正恩のコンプレックスは相当だったようだ。金正男は金正日が最も愛した妻成恵琳(ソンヘリム)との間で産んだ長男だ。祖父と父の愛を一人占めしながら育った。半面、金正恩は北で“2等市民”扱いを受ける在日朝鮮人出身の踊り子高英姫(コヨンヒ)の息子だ。権力の座に上った後にも母について話すことができない。金正恩が執権以後、唯一“白頭の血統”を強調するのも“血統コンプレックス”のためという分析が多い」
韓流ドラマのようだが、現実の話だ。韓国・朝鮮ではことさら「正統性」が強調される。金正恩が「首領」でいるためには、それを少しでも脅かす存在は切り捨てておかなければならない。それが「正男排除」の動機だというわけだ。
しかし、正統性論議から言えば、二人とも正嫡ではない。同誌は「妻成恵琳」と書くが、正妻は金英淑(キムヨンスク)である。金正日と英淑の間に子がいたかどうかの記録は不明だ。知られているのは、金正日が父金日成(キムイルソン)に隠れて当時トップ女優だった成恵琳に産ませたのが正男だということだ。
高英姫との間には正哲(ジョンチョル)、正恩、与正(ヨジョン)が生まれている。金正日は恵琳と正男をモスクワに送っていたため、正恩は正男に会ったことがない。外国で暮らす異母兄、自らは会ったこともない祖父金日成の愛を受けた正男にコンプレックスを募らせたのも無理からぬものがある。
だが、それだけが動機だろうか。「北朝鮮事情に精通する消息筋」は「金正男が北当局から召喚命令を受けたが、これに応じず殺害された可能性が高い」と同誌に語る。一方で、「現実的に脅威となる存在ではない」(同)とされながらも除去されたのは「三代世襲」や「独裁」を批判していたからとも言われるが、それにしては正男の世襲批判発言は2010年(東京新聞の五味洋治氏宛電子メール)だから、除去までに時間がかかり過ぎている。
むしろ説得力のある見方は「正男が韓国に亡命を試みた」からというものだ。「韓国への亡命を遮断するために北が正男を殺害した」と韓国の国家情報院は分析しており、「2012年、李明博(イミョンバク)政府の時、金正男の亡命試みがあり、準備もほとんどできた状態であった」との傍証もある。しかし、これが実行されなかったのは、「韓国政府にとって(正男の亡命は)大きな負担となり、結局挫折した」のだそうだ。
正男と韓国政府とのつながりについて、同誌は興味深い情報を伝えている。「朴槿恵(パククネ)がハンナラ党議員だった2002年に平壌を訪問した。この時、金正男が朴槿恵側と電子メールのやりとりをしながら連絡役をしたという事実は公然の秘密だ」という。「朴槿恵と金正日を連結する対北秘線が正男であった」というわけである。
他に、金正恩が“除去”されるか、体制が崩壊した後の「後釜」として、「白頭の血統」である金正男が据えられる恐れがあることなどが挙げられている。この伝でいくと、正男の息子金ハンソルも「身辺に異常が生じるのではないかと憂慮される」ことになる。「北朝鮮では血統は暗殺の理由になる」と「正しい政党の河泰慶(ハテギョン)議員」は同誌に語っている。
韓国は弾劾政局に続き、事実上、大統領選に突入しているが、金正男暗殺や度重なるミサイル発射など北朝鮮情勢は韓国の安全を脅かす事態をつくっている。しかし、外からの危機が増せば増すほど、内部闘争に明け暮れる“悪弊”からは抜け出せていない。暗殺の衝撃が国民の“覚醒”を促すのかどうか注目である。(敬称略)
編集委員 岩崎 哲