韓国メディアの偏向、無視された「太極旗集会」

保守派3人死亡の続報もなし

 米大統領選では大方の予想を裏切ってトランプ氏が当選した。その“予想”はもっぱらメディアによって“つくられた”ものだった。米メディアはリベラル傾向が強く、クリントン氏支持を鮮明にするところも多かったから、情勢を正確に報じていたわけではなかった、とは“後知恵”の解説である。

 それらに頼って書かれた日本特派員の記事は当然「クリントン有利」になる。どれだけの日本記者が海岸から離れ、中西部の保守的な地域を訪れて、日曜日には必ず教会に行き、家族の価値を大切に守る人々の声を聞いただろうか。北部の工業地帯の“プアーホワイト”が住む街並みを見て来ただろうか。

 現地メディアを参照するのは特派員の仕事の一つでもあるが、そのメディアが偏向している場合、正しい記事を書くのは難しい。

 今、韓国でも同じようなことが起っている。朴槿恵(パククネ)大統領が弾劾によって罷免されたが、毎週土曜日、ソウル中心部で行われた「ろうそくデモ」が起こした「民主革命」の成果のように報じられている。憲法裁判所の決定がこの「民心」の圧力と無関係ではなく、まるで韓国民全体が朴大統領の退陣を要求していたかのような錯覚さえ与える報道ぶりだ。

 だが、ろうそくデモとは別に、それらを圧倒する規模で朴氏を支持するいわゆる「太極旗集会」が行われていたことはあまり伝えられていなかった。

 弾劾が決定した当日、朴氏支持派と警察との衝突で「3人」もの死者が出たと報じられたが、尋常ではない。しかし、報道は事実を伝えるのみで、極めておとなしいものだった。もしこれが進歩派のデモで死者が出ようものなら、どうなっていたか。警察を糾弾し、これまで以上の激しい政府打倒デモが起こり、韓国メディアは連日、集中的に報じたはずだ。そのうち、銅像まで建てられたかもしれない。だが、保守派3人の死はメディアによって黙殺されたかのように、続報が伝わってこない。

 朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(3月号)は李尚勲(イサンフン)記者による「太極旗集会現場を行く」を掲載した。太極旗集会が初めて行われたのは昨年11月19日、ソウル駅前広場だった。しかし、「メディアからは徹底的に無視された」と李記者は書く。

 無視されただけでなく、「JTBCは参加者が金を受け取って動員されたという疑惑さえ報じた」「老人ばかりで若者がいない」などといった虚偽で貶(おとし)められた。JTBCは崔順実(チェスンシル)容疑者のタブレットPCを入手して、「国政壟断(ろうだん)」を最初に報じた中央日報系のTV局である。

 その頃、集会は「ろうそくデモに対抗するという意味の“応戦集会”あるいは“朴槿恵を愛する会の集会”だと意図的に矮小(わいしょう)化された」という。

 しかし、「このようにメディアから冷遇されてきた太極旗集会が1月7日の集会を起点に警察公式集計でろうそくデモを凌駕(りょうが)し、この時からメディアの報道態度に変化が感じられ始めた」という。そして、集会には老若男女が集い、カトリック教徒と女性が多く、全国各地から手弁当で参加して来ていることが次第に報じられるようになっていく。

 ろうそくデモでは「朴槿恵退陣」要求の他に、「統合進歩党復活」「李石基(イソッキ)釈放」など特定の政治スローガンが堂々と掲げられていた。統合進歩党は強制解散させられた従北極左政党であり、李石基は北朝鮮による韓国赤化統一を手引きした「内乱陰謀罪」で逮捕された同党の国会議員だった。ろうそくデモの狙いの一つが「極左復活」であることを、なぜかメディアは報じない。

 李記者は「集会参加者が現在の弾劾政局を基本的に安保問題と認識している」と書いているが、彼らが“朴槿恵を愛する”かどうかを超えて、従北極左による政権奪取に危機感を抱いていることを示すもので、太極旗集会の本質がまさに「安保」であることが分かる。

 韓国メディアの引用だけでは太極旗集会の評価を誤る。野党候補有利と言われる大統領選に太極旗集会派がどう作用していくのか、今度は見落としてはならない。

 編集委員 岩崎 哲