NYのラーメンに学べ-「月刊中央」より

米国に浸透する日本料理/ソフトパワーの必要性訴え

 筆者が駐在していた1990年代前半のニューヨークには日本のラーメン店はほんの数軒しかなく、地下鉄やバスを乗り継いで、ようやく懐かしい味にありつたものだった。だが、現在の同地では寿司や日本料理店はもとより、本格的なラーメン店があちこちにみられる。

 もともと、ラーメンは中国の「拉麺」から来ている。引っ張って麺を延ばすところからこの字がついているのだが、日本に渡ってきて独特の進化を遂げた。麺とスープという単純な食物でありながら、日本人の「極める」民族性が加わり、驚くほど洗練され深みのある料理に昇華し、すっかり日本のものになった。

 韓国の中央日報社が出す総合月刊誌「月刊中央」(12月号)に「ニューヨークのビビンバはラーメンに学べ」という記事が掲載されている。いまや韓国人はニューヨーク、ワシントンDC、ロサンゼルスなど米大都市に巨大なコミュニティーを築いている。それに伴って韓国料理屋も多く、プルコギ(焼肉)、ソルロンタン(先農湯)、石焼ビビンバ、サムギョプサル(三枚肉)、ヘムルタン(海物湯)など、韓国にいるのと変わらない味を堪能できる。

 だが、韓国料理屋とラーメン店はじめ日本料理屋とには大きな違いがある。それは客層だ。日本料理店の客の80%以上が白人を中心とした米国人なのに比べて、韓国料理屋の90%以上が韓国人だという点である。

 その違いは単に日本料理の「味」や「健康性」が米国人に受け入れられただけでなく、サービス、速さ、そしてストーリー性を持つ点などが評価されて、圧倒的に米国人の間に浸透しているのだ。

 著者はワシントンDCで企画会社を経営する劉敏鎬パシフィック21所長で、同誌の客員記者でもある。別稿でも紹介したように松下政経塾を出ており、知日派として知られている人物だ。米国で日本料理店と韓国料理店を並べてみて、何が違うかをもっともよく理解できるのは、日本を良く知る劉氏ならではのことだ。

 劉氏はまず銀座三越から話を説き起こす。日本独特の「デパ地下」が単なる食品、惣菜売り場ではなく、わずか2坪の高級料亭だったり、ワインバーがさりげなく、しかし、相当に高いレベルで存在していることを紹介している。ただ珍奇なケースとしてではなく、料理人やソムリエが一流であるのと同時に、その腕や味の分かる客層によって成り立っていることを解説している。

 こうした日本の「ソフトパワー」について、韓国では「否定的だとか拒否反応を示す人が少なくない」が、著者は「現実を見よう」と呼びかける。たしかに韓国には「日本はない」(田麗玉(チョンヨオク)元KBS東京特派員)といった、日本を軽んじ無視しようとする傾向があるが、実際に韓国には多くの日本のソフトパワーが入り込んでいる。産業技術やテレビ番組から菓子類に至るまで日本の「パクリ」が溢(あふ)れているのが現実だ。

 そして、日本は「独創性がない」と言われるものの、イノベーション(改良進化)が非常に優れている。著者はこの点を強調しつつ、「ラーメン」がその象徴であり、日本の底力を軽視するべきではないと韓国人に警告している。

 最近、韓国の教授が「慰安婦」問題で安倍首相を非難する広告を米紙に出した。著者はこれを「国内用国際イベント」と呼ぶ。すなわち、現地の人々へのアピールよりも、もっぱら国内に向けた示威行為だというのだ。そうした上滑りの行動でなく、日本料理のようにさりげなく、しかし、しっかりと米国人の中に根を下ろす「ソフトパワー」が必要だと訴える。こうした知日派の声は決して少なくない。

 編集委員 岩崎 哲