集団的自衛権行使容認問題、韓国の“知日派”からも警戒感
北への奇襲攻撃も「可能に」
安倍政権は集団的自衛権行使が可能なように憲法解釈を変更しようとしている。これは中国、韓国に激しい警戒感を抱かせ、強い反発を呼び起こさせた。これまでの外交摩擦にはなかったほど激しいものだ。
どうしてこれほどまでに強い反発が出て来たのだろうか。それは、集団的自衛権行使が可能になることは北東アジアの安保地図を塗り変え、地殻変動を呼び起こすほど大きな政策転換だと受け取っているからである。
朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(12月号)に「日本、同盟外交の昨日と今日」という記事が掲載された。著者は劉敏鎬(ユミノ)パシフィック21所長だ。劉氏は韓国の延世大学校政治外交学部を卒業した後、松下政経塾(15期生)で学び、韓国の報道記者を経て、現在米ワシントンで企画会社を運営する“知日派”である。
劉氏は記事で開国以降の日本の外交史をひもとき、「同盟」と「奇襲」の関係について考察している。日英同盟(1902年)の後に日露戦争(1904年)、三国同盟(1940年)の後に太平洋戦争(1941年)へ突入、こうしたパターンに日本外交の特色を見ている。同盟で足場を固めた後、それまで忍従してきた日本が一気呵成に攻めていく。そこに韓国人は「恐ろしさ」を感じるのだ。
現在日本は強固な日米同盟の基盤の上に立っている。だからといって、著者はこれまでのように次に「奇襲」が来るとは考えていない。その理由は、日英同盟、三国同盟と日米同盟に本質的違いがあるからだ。現在の日米同盟は前二者とは違い、もっぱら「米国の世界戦略の中で推進された受動的・垂直的同盟関係と見られる」ものだ。つまり「日米同盟は二度と日本を軍事大国にならないようにする見張り役」なのである。
ところが、集団的自衛権の話が具体的になると話は違ってくる。劉氏は「安倍首相が進める集団的自衛権は既存の日米同盟構図とは全く違う。日本が能動的な軍事作戦を繰り広げることができる主体的な外交軍事路線だ」として、例えば、米軍を攻撃する敵基地に先制攻撃ができるようになると見るのだ。
より具体的に言えば、「北朝鮮に対する予防的次元の奇襲攻撃」が可能になってくるということである。このことを劉氏は、これまでの「日米同盟1・0」が「2・0」にバージョンアップされると例えている。
このような事態は韓国人にとって、日清戦争、日露戦争の悪夢を蘇らせるに十分だろう。いくら体制の違う他国とはいえ、同じ民族、元はといえば一つの国だった地域に日本が軍事攻撃を仕掛けるのは、韓国人にとって容認しがたい。
しかも、いくら韓国、中国が反発しようとも、既に米国をはじめとして、英国、豪州、東南アジア諸国までが集団的自衛権行使を認めている状況は韓国を不安に陥れるには十分だ。
劉氏は、「戦後60年間あまりになされたすべての変化を合わせたよりも、より大きな動きが目の前に現れている」として、それを等閑視していた韓国の遅れた対応に苛(いら)立ちを募らせている。
ただ、北東アジアの安保情勢が大きく変わろうとしていることに対する自覚は、むしろ日本では希薄だ。そのため、韓国人が感じ、持つ危機感、恐怖感を理解できない面がある。この記事から逆に、日本が大きな外交軍事政策の転換をしようとしていることを教わるのは日本人なのかもしれない。
編集委員 岩崎 哲





