米国の本音を訝る識者 米朝平和協定交渉に疑心

「南越」の二の舞いを恐れる

 米朝間で平和協定交渉一歩手前まで行っていたことが分かり波紋を広げている。北朝鮮の核実験強行(1月)で霧散したが、米の同盟国である韓国としては穏やかでない。「ベトナム和平の再来だ」と不信が広がっているのだ。

 元月刊朝鮮編集長でネットメディア「趙甲済(チョガプチェ)ドットコム」を主宰している趙甲済氏が「韓国不参加の米朝平和協定交渉はベトナムの再版だ」と主張している。

 まず、韓国は韓国動乱(1950~53年)の休戦協定当事者ではない、という通説について趙氏は反論する。休戦協定は「北朝鮮軍、中国人民解放軍、国連軍代表が署名した」ものだ。韓国軍はこれに言及されていないが、趙氏は、「当時、韓国軍は米・英・トルコ軍など国連軍と共にクラーク司令官指揮下にあった。国連軍司令官が国連軍を代表して署名したのだから、韓国軍も代表されたものだった」と説明する。

 その席に韓国軍はいなかったが、国連軍のくくりの中にいたので、だから当事者であるという理屈だ。一理あるが、それならトルコ軍も当事者ということになってしまう。議論のあるところだろう。

 それよりもむしろ「1次的戦争当事者は韓国、北朝鮮」であり、「休戦状態を終結させるための平和協定は韓国、北朝鮮が合意して、韓米中朝が4者会談をしなければならない」という主張の方が現状から言えばもっとも妥当ではないか。

 韓国はこれまで北朝鮮から「休戦協定の当事者ではない」と除(の)け者にされてきた。それ以前に政府樹立の経緯でも、北朝鮮から「正統性」が常に突かれてきた。北朝鮮こそ、ソ連(当時)の傀儡(かいらい)政権だったにもかかわらず、韓国は北朝鮮の「正統性」攻勢にどうしても負い目を感じてしまう。

 それに対して、北朝鮮は常に対米直接交渉に固執してきた。韓国を飛び越えて米国と交渉し、米国と平和協定を結ぶことで「韓半島の平和状態」を作り出し、在韓米軍を撤退させようと一貫して主張してきた。核・ミサイル開発も米国を交渉の席に就かせるため、という側面もある。

 もし北朝鮮の意図通りにことが運べば、韓国は圧倒的に不利な状況に陥る。かつて米国が北ベトナム、南ベトナム臨時革命政府、南ベトナムとパリ和平協定(1973年)を結んで南ベトナムから撤退して行き、その結果、サイゴン(現ホーチミン)陥落(1975年)を招いた歴史が蘇(よみがえ)ってくる。

 趙甲済氏は今回の米朝交渉に強い疑心を向けるのはそれが理由だ。サイゴン陥落は「米国が南ベトナムを見捨てた」からで、交渉に当たったキッシンジャー米大統領補佐官(当時)こそが、「ベトナムへの米軍介入を終結させた張本人」だったと断じている。

 キッシンジャー氏本人も回顧録(Years of Renewal)で「後悔」の念を述べているが、北ベトナムが和平協定を守るわけもなく、共産化を進めるであろうことは「知っていた」ようだ。だが、米国内の反戦運動と厭戦気分が支配した連邦議会を説得し、南ベトナム政府を支援することはできなかった。

 こうした過去を見る韓国が、韓国の頭越しに北朝鮮と平和条約交渉をしようとした米国に“裏切り”を感じるのは無理からぬことだ。まして、韓国は米の要請でベトナム戦争に参戦していたから、当時の米国の本音を十分に知っていた。

 朴正煕(パクチョンヒ)大統領は1972年に、「安保を米国だけに依存してはならない。ベトナムをみよ。自主国防をしようとするなら重化学工業を中心に経済を発展させなければならない。国の組織化が維新体制を宣言した理由だ」と述べている。既に米国の意図、ベトナムの現状を読み切っていたわけだ。

 趙氏は平和協定交渉の「3原則」を提示した。①韓国の参加②北朝鮮の核放棄が前提③戦争犯罪者(北朝鮮)の責任認定と賠償、原状回復(国軍捕虜・被拉致者の帰還)がそれだ。いずれも厳しく、北朝鮮が受け入れるとは思えない。当面、平和協定交渉は水面下に潜るだろう。

 編集委員 岩崎 哲